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一筆入魂

東京vs大阪の「雪解け」は何をもたらすか

日医会長選にみる覇権争いの系譜

辰濃哲郎

2012年2月1日号

 日本医師会長選の歴史はまた、東京都医師会と大阪府医師会の相克の歴史でもある。1957年から25年間、会長職を務めた武見太郎氏以降、現職の原中勝征会長を含めて7人の会長が誕生している。その背後には、必ず東京都医と大阪府医の2大組織の覇権争いが絡んでいた。  伝説の名物会長だった武見氏を継いだ花岡堅而氏(長野県医)が1期だけ会長を務めたが、84年から96年までの12年間、ともに東京都医出身の羽田春兔氏と村瀬敏郎氏が会長の座を守っている。  その羽田氏が会長だった当時の90年、大阪府医に植松治雄氏という大物会長が現れて様相が一変する。権力に迎合することを嫌い、筋の通らないことは認めない一本気な性格の植松氏は、キングメーカーと呼ばれた東京都医の市川重彦氏を嫌悪した。一部の権力者によって日医会長が決められていくことに対し、「権力の二重構造だ」と反発、東京に一極集...  日本医師会長選の歴史はまた、東京都医師会と大阪府医師会の相克の歴史でもある。1957年から25年間、会長職を務めた武見太郎氏以降、現職の原中勝征会長を含めて7人の会長が誕生している。その背後には、必ず東京都医と大阪府医の2大組織の覇権争いが絡んでいた。  伝説の名物会長だった武見氏を継いだ花岡堅而氏(長野県医)が1期だけ会長を務めたが、84年から96年までの12年間、ともに東京都医出身の羽田春兔氏と村瀬敏郎氏が会長の座を守っている。  その羽田氏が会長だった当時の90年、大阪府医に植松治雄氏という大物会長が現れて様相が一変する。権力に迎合することを嫌い、筋の通らないことは認めない一本気な性格の植松氏は、キングメーカーと呼ばれた東京都医の市川重彦氏を嫌悪した。一部の権力者によって日医会長が決められていくことに対し、「権力の二重構造だ」と反発、東京に一極集中す

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