From Local to Global 私と公衆衛生
私と「ミナマタ」(その2)
第38回
国際医療福祉大学副学長 岩尾總一郎(元厚労省医政局長)
2011年12月1日号
90年6月末、佐賀県の保健環境部長として2年目が過ぎた頃、厚生省(当時)の医系技官人事を担当する課長から電話がかかってきた。「岩尾さん、7月20日付で東京に戻っていただく。が、厚生省ではなく、環境庁だ。水俣病対策をやってくれ。佐賀県も有明海に面しているからわかるだろう。後任は○○さんなのでよろしく」。
異動の内示は本人に直接伝えることになっている。事前に関係者に当該人物の確実な在席時間を聞いておき、やおら突然に電話するのだ。かくして、90年7月21日、「環境庁企画調整局環境保健部保健業務課特殊疾病対策室長を命ず」という長い長い肩書の辞令をいただいた。室長というのは最初の管理職ポストだが、この職は課長並みの手当がついた。その分、課長並みのハードなポストということが後でわかる。
前回述べたように、私は行政官になる前は重金属中毒の研究者だった。水俣病は...
90年6月末、佐賀県の保健環境部長として2年目が過ぎた頃、厚生省(当時)の医系技官人事を担当する課長から電話がかかってきた。「岩尾さん、7月20日付で東京に戻っていただく。が、厚生省ではなく、環境庁だ。水俣病対策をやってくれ。佐賀県も有明海に面しているからわかるだろう。後任は○○さんなのでよろしく」。
異動の内示は本人に直接伝えることになっている。事前に関係者に当該人物の確実な在席時間を聞いておき、やおら突然に電話するのだ。かくして、90年7月21日、「環境庁企画調整局環境保健部保健業務課特殊疾病対策室長を命ず」という長い長い肩書の辞令をいただいた。室長というのは最初の管理職ポストだが、この職は課長並みの手当がついた。その分、課長並みのハードなポストということが後でわかる。
前回述べたように、私は行政官になる前は重金属中毒の研究者だった。水俣病は知
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