From Local to Global 私と公衆衛生
私と「ミナマタ」 その1
第37回
国際医療福祉大学副学長 岩尾總一郎(元厚労省医政局長)
2011年11月1日号
行政官時代の逸話を中心に本誌に書かせていただいているが、今までの連載で空白の時期がある。
水俣病問題を担当した91〜93年の環境省特殊疾病対策室長時代だ。日本が高度成長を遂げた時代の負の遺産とも言える水俣病問題を担当した。私は行政官になる前、大学で公衆衛生を専攻しているときの研究テーマは重金属中毒だった。
今回から「私とミナマタ」というタイトルで、医学生、研究者、行政官それぞれの立場で関わった水俣病について回想する。
高度経済成長期(1950年代後半から70年代)、公害により住民への健康被害が問題となった。このうち、被害の大きかった水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病を「4大公害病」と呼んでいるが、私の医学部学生時代にこれらが顕在化してくる。
67年4月5日、岡山大学の小林純教授が、富山県のイタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所...
行政官時代の逸話を中心に本誌に書かせていただいているが、今までの連載で空白の時期がある。
水俣病問題を担当した91〜93年の環境省特殊疾病対策室長時代だ。日本が高度成長を遂げた時代の負の遺産とも言える水俣病問題を担当した。私は行政官になる前、大学で公衆衛生を専攻しているときの研究テーマは重金属中毒だった。
今回から「私とミナマタ」というタイトルで、医学生、研究者、行政官それぞれの立場で関わった水俣病について回想する。
高度経済成長期(1950年代後半から70年代)、公害により住民への健康被害が問題となった。このうち、被害の大きかった水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病を「4大公害病」と呼んでいるが、私の医学部学生時代にこれらが顕在化してくる。
67年4月5日、岡山大学の小林純教授が、富山県のイタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所の廃
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