孤立必至「高齢都市」の処方箋
東日本大震災で判明した「支援」の断絶
2011年4月1日号
筆者は、仙台市内で東日本大震災に遭遇し、避難所生活を余儀なくされた。震災発生から約1時間後、東北大学病院を訪れた。普段なら外来が一段落してのんびりした時間が流れているはずの待合ロビーは、まさに戦場と化していた。ロビーは緊急処置の場となり、職員全員が臨戦態勢をとり、横たわっていた何人もの高齢者を治療していた。医師たちは入院患者の容体確認で病室を飛び回っていた。 避難所となった小学校や中学校では、地元住民が体育館に避難。寒さと余震に怯えながら暗いなか、不安な夜を過ごした。在宅医療を受けているという高齢者が、授業で使うマットを重ねた簡易ベッドに横たわる。家族に話を聞くと「自立歩行が難しく、薬も持たずに避難した」と先々の不安を口にした。 震災発生2日後には、リハビリ入院していた親が病院から急遽退院させられ、どう対処したらいいかわからないと嘆く中...
筆者は、仙台市内で東日本大震災に遭遇し、避難所生活を余儀なくされた。震災発生から約1時間後、東北大学病院を訪れた。普段なら外来が一段落してのんびりした時間が流れているはずの待合ロビーは、まさに戦場と化していた。ロビーは緊急処置の場となり、職員全員が臨戦態勢をとり、横たわっていた何人もの高齢者を治療していた。医師たちは入院患者の容体確認で病室を飛び回っていた。 避難所となった小学校や中学校では、地元住民が体育館に避難。寒さと余震に怯えながら暗いなか、不安な夜を過ごした。在宅医療を受けているという高齢者が、授業で使うマットを重ねた簡易ベッドに横たわる。家族に話を聞くと「自立歩行が難しく、薬も持たずに避難した」と先々の不安を口にした。 震災発生2日後には、リハビリ入院していた親が病院から急遽退院させられ、どう対処したらいいかわからないと嘆く中年
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