From Local to Global 私と公衆衛生
医療の電子化を阻むもの
第28回
国際医療福祉大学副学長 岩尾總一郎(元厚労省医政局長)
2011年2月1日号
国際医療福祉大学の大学院長であった開原成允先生が1月12日に急逝された。6ヵ所ある大学院の各キャンパスを結んだテレカンファレンス開催中の出来事だった。
栃木の本校にいた我われは、モニターに映し出された東京・青山キャンパス会議室のあわただしい動きを見守るのみだ。歯がゆかったがどうしようもない。開原先生は本学の諸葛孔明と言われるほどの知恵袋だった。本学教職員の喪失感はとても大きい。
今回は開原先生のご専門であった医療情報の電子化について思い出を記す。
エイズ、ハンセン病などの感染症対策に2年間どっぷりと浸かった後の97年7月1日、私は旧厚生省健康政策局研究開発振興課長に異動した。その後、医療機器開発の担当室と、健康政策局にあった医療情報推進室が併合され、私の課の下に医療機器・情報室として位置づけられた。
そうしたなか、7月7日に「カルテなどの診...
国際医療福祉大学の大学院長であった開原成允先生が1月12日に急逝された。6ヵ所ある大学院の各キャンパスを結んだテレカンファレンス開催中の出来事だった。
栃木の本校にいた我われは、モニターに映し出された東京・青山キャンパス会議室のあわただしい動きを見守るのみだ。歯がゆかったがどうしようもない。開原先生は本学の諸葛孔明と言われるほどの知恵袋だった。本学教職員の喪失感はとても大きい。
今回は開原先生のご専門であった医療情報の電子化について思い出を記す。
エイズ、ハンセン病などの感染症対策に2年間どっぷりと浸かった後の97年7月1日、私は旧厚生省健康政策局研究開発振興課長に異動した。その後、医療機器開発の担当室と、健康政策局にあった医療情報推進室が併合され、私の課の下に医療機器・情報室として位置づけられた。
そうしたなか、7月7日に「カルテなどの診療情
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