くすりと切手と音楽を
鴎外・林太郎・独逸
第45回
財団法人MR教育センター常務理事 平林敏彦
2011年1月15日号
文豪森鴎外は軍医森林太郎でもあり、明治政府の軍医総監となり、陸軍医務局長まで上り詰めた。 文久2(1862)年2月17日、島根県津和野で藩医の長男として生まれた。優秀であったことから年齢を2歳偽り、19歳で現東京大学医学部を卒業して陸軍省に入る。陸軍病院で臨床に従事するが、ドイツ留学を志願し、明治17年8月にドイツの衛生制度を調査することが認められてドイツへ4年間留学した。 ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンに滞在して、当時の先端医学を学ぶ。ドレスデンでは、軍医学を学ぶため陸軍の演習にも参加した。ミュンヘンでは衛生学を、ベルリンでは北里柴三郎と一緒に当時細菌学の権威として知られたコッホの研究所に入り、細菌学の勉強もした。 留学中は、かの地の王族や貴族らとの交際も多く、舞踏会や夜会などへ積極的に参加するほか観劇にも頻繁に行っている。ドイツ滞...
文豪森鴎外は軍医森林太郎でもあり、明治政府の軍医総監となり、陸軍医務局長まで上り詰めた。 文久2(1862)年2月17日、島根県津和野で藩医の長男として生まれた。優秀であったことから年齢を2歳偽り、19歳で現東京大学医学部を卒業して陸軍省に入る。陸軍病院で臨床に従事するが、ドイツ留学を志願し、明治17年8月にドイツの衛生制度を調査することが認められてドイツへ4年間留学した。 ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンに滞在して、当時の先端医学を学ぶ。ドレスデンでは、軍医学を学ぶため陸軍の演習にも参加した。ミュンヘンでは衛生学を、ベルリンでは北里柴三郎と一緒に当時細菌学の権威として知られたコッホの研究所に入り、細菌学の勉強もした。 留学中は、かの地の王族や貴族らとの交際も多く、舞踏会や夜会などへ積極的に参加するほか観劇にも頻繁に行っている。ドイツ滞在
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