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くすりと切手と音楽を

クレオパトラ

第37回

財団法人MR教育センター常務理事 平林敏彦

2010年5月15日号

 世界史3大美女のひとりクレオパトラが、その美貌と色香でローマの将軍を翻弄したことを評して、フランスの哲学者パスカルは、「彼女の鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」との名言を残している。 クレオパトラは、エジプトを統治していたプトレマイオス王朝の後継者として、紀元前69年1月(70年1月説もある)にアレクサンドリアで生まれた。彼女が18歳のときに父プトレマイオス12世が死去、遺言により弟のプトレマイオス13世と結婚し、クレオパトラ7世として即位した。その頃エジプトは不安定な情勢にあったので、彼女は強大な力があった共和制ローマとの同盟が必要と考え、独裁官として君臨していたガイエス・ユーリウス・カエサル(英名ジュリアス・シーザー)と手を組む。その後、彼の愛人となり、カエサルの庇護のもと王朝を治めていた。 彼女は、ローマでカエサルと暮らしていたが、...  世界史3大美女のひとりクレオパトラが、その美貌と色香でローマの将軍を翻弄したことを評して、フランスの哲学者パスカルは、「彼女の鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」との名言を残している。 クレオパトラは、エジプトを統治していたプトレマイオス王朝の後継者として、紀元前69年1月(70年1月説もある)にアレクサンドリアで生まれた。彼女が18歳のときに父プトレマイオス12世が死去、遺言により弟のプトレマイオス13世と結婚し、クレオパトラ7世として即位した。その頃エジプトは不安定な情勢にあったので、彼女は強大な力があった共和制ローマとの同盟が必要と考え、独裁官として君臨していたガイエス・ユーリウス・カエサル(英名ジュリアス・シーザー)と手を組む。その後、彼の愛人となり、カエサルの庇護のもと王朝を治めていた。 彼女は、ローマでカエサルと暮らしていたが、紀元

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