医薬経済オンライン

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「唐澤日医」下降線辿った4年間

自民と心中で命運尽きる

2010年4月15日号

 へその前で両手を重ね、俯いたまま、まったく動かない。まさに呆然と立ち尽くしていた。 「残念の極みです。今後のことを申し上げる状態にはありません」 日本医師会の唐澤?人会長(当時)は、報道陣からコメントを求められると、ようやく小さく口を開いた。07年7月30日早朝。組織内候補として擁立した自民党・武見敬三候補の落選が決まった直後のことだった。 唐澤氏が日医会長を務めた2期4年間(表参照)を振り返ると、歓喜の瞬間はほとんどなく、むしろ、06年4月の初当選をピークに、会長としての影響力が低下していった経緯が浮かび上がる。「武見落選」は、なかでも象徴的な出来事だ。 唐澤氏は、前植松治雄執行部が「是々非々だ」と小泉政権と距離を置いたため、日医の発言力低下を招く原因になったと批判、自民党との「協調路線」を強く打ち出して、当選を果たした。 そして、1年数ヵ月後...  へその前で両手を重ね、俯いたまま、まったく動かない。まさに呆然と立ち尽くしていた。 「残念の極みです。今後のことを申し上げる状態にはありません」 日本医師会の唐澤?人会長(当時)は、報道陣からコメントを求められると、ようやく小さく口を開いた。07年7月30日早朝。組織内候補として擁立した自民党・武見敬三候補の落選が決まった直後のことだった。 唐澤氏が日医会長を務めた2期4年間(表参照)を振り返ると、歓喜の瞬間はほとんどなく、むしろ、06年4月の初当選をピークに、会長としての影響力が低下していった経緯が浮かび上がる。「武見落選」は、なかでも象徴的な出来事だ。 唐澤氏は、前植松治雄執行部が「是々非々だ」と小泉政権と距離を置いたため、日医の発言力低下を招く原因になったと批判、自民党との「協調路線」を強く打ち出して、当選を果たした。 そして、1年数ヵ月後に

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