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くすりと切手と音楽を

修道女ヒルデガルト

第35回

財団法人MR教育センター常務理事 平林敏彦

2010年3月15日号

 中世初期のヨーロッパにおける医療は修道院で行われ、その担い手は修道士(女)であった。発端は、修道士の父と云われるベネディクトが、6世紀前半にイタリアに修道院を作った際、健康に関する7つの慈善行為を「ベネディクトの規律」として定めて活動し、病人を救済したことである。ベネディクト派修道院での医療活動が盛んであったことの影響で、他派の修道院でも医療を施すようになった。大都市に大学の医学部ができるようになるまでは、このように修道士たちが医術のパイオニアとしての役割を果たしていた。 ドイツ人ヒルデガルト・フォン・ビンケン(1098〜1179)は、ライン川沿いのベルメルスハイム領主の娘として生まれた。8歳でベネディクト派修道院に預けられ、17歳で修道女となる。53歳のときに、多くの修道女を連れてルペルツベルグに女子修道院を建立、終生修道院長として仕えた。 彼女は...  中世初期のヨーロッパにおける医療は修道院で行われ、その担い手は修道士(女)であった。発端は、修道士の父と云われるベネディクトが、6世紀前半にイタリアに修道院を作った際、健康に関する7つの慈善行為を「ベネディクトの規律」として定めて活動し、病人を救済したことである。ベネディクト派修道院での医療活動が盛んであったことの影響で、他派の修道院でも医療を施すようになった。大都市に大学の医学部ができるようになるまでは、このように修道士たちが医術のパイオニアとしての役割を果たしていた。 ドイツ人ヒルデガルト・フォン・ビンケン(1098〜1179)は、ライン川沿いのベルメルスハイム領主の娘として生まれた。8歳でベネディクト派修道院に預けられ、17歳で修道女となる。53歳のときに、多くの修道女を連れてルペルツベルグに女子修道院を建立、終生修道院長として仕えた。 彼女は若

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