医薬経済オンライン

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くすりと切手と音楽を

寅年にちなんで

第33回

財団法人MR教育センター常務理事 平林敏彦

2010年1月15日号

 大阪の道修町にある少彦名(すくなひこな)神社の張子の虎は有名である。少彦名命は、「古事記」や「日本書紀」にも出てくる神様で、わが国の医薬の神様として知られる。また、大国主命の国造りにも協力したという。 豊臣秀吉の時代に、薬の輸入問屋が道修町に集まり始め、江戸時代には、100を超える薬種商が住み、「薬種仲買仲間」の街となった。彼らは、オランダ船などで長崎に輸入される唐薬種(漢薬)の真贋や量目、値段を決めており、この道修町から全国へ唐薬種が卸されていた。しかし、これらの仕事は困難を極めたことから、その成就を神様に祈願していた。当初、中国伝説上の神である神農氏を信仰していたが、後に少彦名命を京都の五条天神宮より分霊して合祀したのが、少彦名神社の起こりとされている。 話は変わるが、わが国では1822年(文政5年)に初めてコレラが長崎に上陸し、瞬く間に...  大阪の道修町にある少彦名(すくなひこな)神社の張子の虎は有名である。少彦名命は、「古事記」や「日本書紀」にも出てくる神様で、わが国の医薬の神様として知られる。また、大国主命の国造りにも協力したという。 豊臣秀吉の時代に、薬の輸入問屋が道修町に集まり始め、江戸時代には、100を超える薬種商が住み、「薬種仲買仲間」の街となった。彼らは、オランダ船などで長崎に輸入される唐薬種(漢薬)の真贋や量目、値段を決めており、この道修町から全国へ唐薬種が卸されていた。しかし、これらの仕事は困難を極めたことから、その成就を神様に祈願していた。当初、中国伝説上の神である神農氏を信仰していたが、後に少彦名命を京都の五条天神宮より分霊して合祀したのが、少彦名神社の起こりとされている。 話は変わるが、わが国では1822年(文政5年)に初めてコレラが長崎に上陸し、瞬く間に大阪

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