くすりと切手と音楽を
オペラになったポー
第32回
財団法人MR教育センター常務理事 平林敏彦
2009年12月15日号
エドガー・アラン・ポー(右)とドビュッシーの切手(縮小率85%) アメリカ・ボストン生まれの作家で詩人、評論家としても有名なエドガー・アラン・ポー(1809〜49)は、近代推理探偵小説の祖といわれている。彼は3歳で孤児となったが、裕福な商人に引き取られ養育されてヴァージニア大学に入る。しかし、父親からの遺伝と思われる飲酒癖や賭博で多額の借金を負い、退学となる。 ポーは、若いときから詩を書いており、文筆活動や文学雑誌の編集に強い希望を持っていた。そのため、ボストン、ボルチモアやリッチモンドなどで雑誌の編集者として働く傍ら詩や短編を執筆して生計を立てていた。1836年に従妹のヴァージニアと結婚(彼女は13歳であった)、翌年フィラデルフィアに転居する。この当時のフィラデルフィアは、アメリカの薬学教育の中心地だったことから、アメリカ初の薬科大学がポーが転居す...
エドガー・アラン・ポー(右)とドビュッシーの切手(縮小率85%) アメリカ・ボストン生まれの作家で詩人、評論家としても有名なエドガー・アラン・ポー(1809〜49)は、近代推理探偵小説の祖といわれている。彼は3歳で孤児となったが、裕福な商人に引き取られ養育されてヴァージニア大学に入る。しかし、父親からの遺伝と思われる飲酒癖や賭博で多額の借金を負い、退学となる。 ポーは、若いときから詩を書いており、文筆活動や文学雑誌の編集に強い希望を持っていた。そのため、ボストン、ボルチモアやリッチモンドなどで雑誌の編集者として働く傍ら詩や短編を執筆して生計を立てていた。1836年に従妹のヴァージニアと結婚(彼女は13歳であった)、翌年フィラデルフィアに転居する。この当時のフィラデルフィアは、アメリカの薬学教育の中心地だったことから、アメリカ初の薬科大学がポーが転居する1
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