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霞が関人物録

古川氏を慕い厚労省に集まる佐賀県出身者

第3回 佐賀県

2009年7月1日号

 江戸中期に武士の心得として出された「葉隠」や有田焼、伊万里焼で有名な佐賀県。人口85万9000人だが、明治維新では「薩長土肥」の一翼を担った土地柄だけに、明治の時代から有名人を輩出している。早稲田大学の創設者・大隈重信はとくに有名だ。 霞が関では、旧鍋島藩の藩校「弘道館」の流れを組む佐賀西高(旧佐賀高)の出身者を中心に活躍する。 その筆頭が、03年まで内閣副官房長官を務めた古川貞二郎氏(佐賀高、九州大法卒、写真)だろう。 58年に長崎県庁に入りながら、60年に厚生省(現厚生労働省)に入り直したという異色の経歴を持つ。厚生省官房長、同保険局長などを務め、93年に事務次官に上り詰めた。95年に石原信雄氏(自治省出身)の後を継いで官房副長官に就任した。同職は、事務次官会議を取りまとめる文字通り官僚のトップである。8年7ヵ月という在任期間は、歴代官房副長官の最...  江戸中期に武士の心得として出された「葉隠」や有田焼、伊万里焼で有名な佐賀県。人口85万9000人だが、明治維新では「薩長土肥」の一翼を担った土地柄だけに、明治の時代から有名人を輩出している。早稲田大学の創設者・大隈重信はとくに有名だ。 霞が関では、旧鍋島藩の藩校「弘道館」の流れを組む佐賀西高(旧佐賀高)の出身者を中心に活躍する。 その筆頭が、03年まで内閣副官房長官を務めた古川貞二郎氏(佐賀高、九州大法卒、写真)だろう。 58年に長崎県庁に入りながら、60年に厚生省(現厚生労働省)に入り直したという異色の経歴を持つ。厚生省官房長、同保険局長などを務め、93年に事務次官に上り詰めた。95年に石原信雄氏(自治省出身)の後を継いで官房副長官に就任した。同職は、事務次官会議を取りまとめる文字通り官僚のトップである。8年7ヵ月という在任期間は、歴代官房副長官の最高記

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