From Local to Global 私と公衆衛生
続・サミットこぼれ話
第8回
国際医療福祉大学副学長 岩尾總一郎
2009年6月1日号
私たち官僚にとっても、「サミット」は特別なイベントだ。前回に引き続き、このサミットの話をさせていただきたい。
私は暖かい気候が好きだから、沖縄には、よく出かける。広い海に高い空、本土にはない植生群、それに何より、ゆったりとした時間が流れている。
00年7月に日本で開かれたサミットの会場が沖縄に決まったのは、当時首相だった故小渕恵三氏の念願だったと言われる。夏の暑いさなかに、何も酷暑の沖縄でなくてもよさそうなものだが、その小渕氏はサミット開催3ヵ月前の4月、脳梗塞で倒れ、沖縄サミットの実現を、その目で見ずして1ヵ月後に息を引き取った。
その追悼の演説をしたのが、社民党の村山富市元首相だった。
小渕氏が学生時代から沖縄に通い、太平洋戦争末期に本土防衛の捨て石として多くの犠牲者を出したことを心に刻み、大都市からの誘致合戦を尻目に沖縄サミットを...
私たち官僚にとっても、「サミット」は特別なイベントだ。前回に引き続き、このサミットの話をさせていただきたい。
私は暖かい気候が好きだから、沖縄には、よく出かける。広い海に高い空、本土にはない植生群、それに何より、ゆったりとした時間が流れている。
00年7月に日本で開かれたサミットの会場が沖縄に決まったのは、当時首相だった故小渕恵三氏の念願だったと言われる。夏の暑いさなかに、何も酷暑の沖縄でなくてもよさそうなものだが、その小渕氏はサミット開催3ヵ月前の4月、脳梗塞で倒れ、沖縄サミットの実現を、その目で見ずして1ヵ月後に息を引き取った。
その追悼の演説をしたのが、社民党の村山富市元首相だった。
小渕氏が学生時代から沖縄に通い、太平洋戦争末期に本土防衛の捨て石として多くの犠牲者を出したことを心に刻み、大都市からの誘致合戦を尻目に沖縄サミットを実
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