医薬経済オンライン

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移植医・大島伸一回顧録

名古屋大学医学部

第2回

ノンフィクション・ライター 髙橋幸春

2017年7月15日号

 大島伸一は1945年9月7日、終戦から1ヵ月も経過していない満州で生まれた。医師を志すに至ったのは、引き揚げ後、愛知県庁の職員となった父親の死が大きく影響している。中学1年生の時に、父親は53歳の若さで脳溢血で亡くなった。母親は女手ひとつで大島と弟を育てなければならなかった。 経済的に恵まれた環境ではなかった大島は、県立の進学校を経て、「農業をやろうか、土木をしようか、医者になろうか」迷った末、医師の道を選んだ。この3つの進路には共通点があった。他人に頭を下げることが少なくてすむ仕事に就きたいと考えていたのだ。64年、大島は名古屋大学医学部に入学した。 亡くなった父親は県庁で社会保険に関係する仕事を担当していた。そのために、社会保険中京病院の太田裕祥医師(故人)と親交があった。太田は当時、泌尿器科医として活躍していた。父親からは、医師にな...  大島伸一は1945年9月7日、終戦から1ヵ月も経過していない満州で生まれた。医師を志すに至ったのは、引き揚げ後、愛知県庁の職員となった父親の死が大きく影響している。中学1年生の時に、父親は53歳の若さで脳溢血で亡くなった。母親は女手ひとつで大島と弟を育てなければならなかった。 経済的に恵まれた環境ではなかった大島は、県立の進学校を経て、「農業をやろうか、土木をしようか、医者になろうか」迷った末、医師の道を選んだ。この3つの進路には共通点があった。他人に頭を下げることが少なくてすむ仕事に就きたいと考えていたのだ。64年、大島は名古屋大学医学部に入学した。 亡くなった父親は県庁で社会保険に関係する仕事を担当していた。そのために、社会保険中京病院の太田裕祥医師(故人)と親交があった。太田は当時、泌尿器科医として活躍していた。父親からは、医師になるな

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