医薬経済オンライン

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移植医・大島伸一回顧録

移植開始

第3回

ノンフィクション・ライター 髙橋幸春

2017年8月1日号

 1973年9月4日、中京病院で初めての腎臓移植手術が行われた。コロラド大学で移植を学び、米国から帰国した岩月舜三郎をリーダーにして、大島伸一を中心にした名古屋大学医学部を卒業したばかりの若き医師たちが、その移植手術に加わった。岩月はその2日後の6日にも、さらに移植手術を行うようにスケジュールを組んだ。 大島は手術の何日も前から、手術器具のチェックや当日のシミュレーションを何度も繰り返し、病棟の手配もした。4日は午前5時に起きて、6時前には病院に着いた。準備は万全だったが、不安でいてもたってもいられなかった。 1例目の手術は母親がドナーで、レシピエントはその子どもの成人男性だった。2例目もドナーは母親、レシピエントは中学生の男子だった。6歳以上なら、成人の腎臓を移植しても問題はないとされていた。 1例目は午前8時30分に開始された。 ドナ...  1973年9月4日、中京病院で初めての腎臓移植手術が行われた。コロラド大学で移植を学び、米国から帰国した岩月舜三郎をリーダーにして、大島伸一を中心にした名古屋大学医学部を卒業したばかりの若き医師たちが、その移植手術に加わった。岩月はその2日後の6日にも、さらに移植手術を行うようにスケジュールを組んだ。 大島は手術の何日も前から、手術器具のチェックや当日のシミュレーションを何度も繰り返し、病棟の手配もした。4日は午前5時に起きて、6時前には病院に着いた。準備は万全だったが、不安でいてもたってもいられなかった。 1例目の手術は母親がドナーで、レシピエントはその子どもの成人男性だった。2例目もドナーは母親、レシピエントは中学生の男子だった。6歳以上なら、成人の腎臓を移植しても問題はないとされていた。 1例目は午前8時30分に開始された。 ドナーか

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