平時医療体制の破錠に備える~電光石火こそ最良の有事医療~
災害時の心停止に備える
第33回
愛知医科大学 非常勤講師 照井資規
2017年8月1日号
11年3月11日の東日本大震災発災時、筆者は陸上自衛隊の衛生科幹部で岩手駐屯地に勤務していた。最初に現地入りした衛生科部隊指揮官だったが、災害派遣活動中、かつて筆者が北海道で勤務していた陸曹時代、営内生活をともにした若い隊員の突然の心停止により、災害関連死を身近に感じた。このときの症例はAED(自動体外式除細動器)の適用外だった。 3月9日午前11時45分頃に三陸沖を震源とするM7.3の地震が発生、大船渡で55センチの津波を観測した。岩手駐屯地は災害派遣の態勢となり、情報収集部隊を派遣すると同時に、部隊主力はトラックなどに災害派遣用装備を積み込んで出動準備を整えた。余震に備えるため、災害派遣用装備は車両に積載したままにし、隊員全員が30分以内に登庁できる態勢を1週間維持することとした。2日後の東日本大震災後、直ちに出動できたのは、こうした態勢を整え...
11年3月11日の東日本大震災発災時、筆者は陸上自衛隊の衛生科幹部で岩手駐屯地に勤務していた。最初に現地入りした衛生科部隊指揮官だったが、災害派遣活動中、かつて筆者が北海道で勤務していた陸曹時代、営内生活をともにした若い隊員の突然の心停止により、災害関連死を身近に感じた。このときの症例はAED(自動体外式除細動器)の適用外だった。 3月9日午前11時45分頃に三陸沖を震源とするM7.3の地震が発生、大船渡で55センチの津波を観測した。岩手駐屯地は災害派遣の態勢となり、情報収集部隊を派遣すると同時に、部隊主力はトラックなどに災害派遣用装備を積み込んで出動準備を整えた。余震に備えるため、災害派遣用装備は車両に積載したままにし、隊員全員が30分以内に登庁できる態勢を1週間維持することとした。2日後の東日本大震災後、直ちに出動できたのは、こうした態勢を整えて
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