医薬経済オンライン

医療・医薬業界をさまざまな視点・論点から示すメディア

移植医・大島伸一回顧録

停滞

第5回

ノンフィクション・ライター 髙橋幸春

2017年9月1日号

 中京病院で大島伸一が最初に移植手術を経験したのは、1973年のことである。日本移植学会によれば、この年、国内の移植件数は生体腎移植が82例、死体からの献腎移植が4例だ。当時、移植した臓器の1年生着率は60パーセントにも届かないという状況だった。 1例目、2例目は術後管理でそれぞれ約2週間の苦闘を強いられたものの、何とか成功した。しかし、3例目は拒絶反応を制御することができず、失敗に終わった。それでも、自らが熱望し、中京病院で乗り出した腎移植を、たった3例で終わらせるわけにはいかない。ここで中断すれば、「移植はまともな医療ではない」と自ら認めるのと同じだ。それは大島を信じて、ドナーとなった3人の母親と、母親からの腎臓提供を受けたそれぞれのレシピエントに、自分が行った移植手術はすべて誤りだったと宣言するのに等しい。 それに、大島の要請に応えて...  中京病院で大島伸一が最初に移植手術を経験したのは、1973年のことである。日本移植学会によれば、この年、国内の移植件数は生体腎移植が82例、死体からの献腎移植が4例だ。当時、移植した臓器の1年生着率は60パーセントにも届かないという状況だった。 1例目、2例目は術後管理でそれぞれ約2週間の苦闘を強いられたものの、何とか成功した。しかし、3例目は拒絶反応を制御することができず、失敗に終わった。それでも、自らが熱望し、中京病院で乗り出した腎移植を、たった3例で終わらせるわけにはいかない。ここで中断すれば、「移植はまともな医療ではない」と自ら認めるのと同じだ。それは大島を信じて、ドナーとなった3人の母親と、母親からの腎臓提供を受けたそれぞれのレシピエントに、自分が行った移植手術はすべて誤りだったと宣言するのに等しい。 それに、大島の要請に応えて指導

有料会員限定

会員登録(有料)
この記事をお読みいただくためには、会員登録(有料)が必要です。
新規会員登録とマイページ > 購読情報から購入手続きをお願いいたします。
※IDをお持ちの方はログインからお進みください

【会員登録方法】
会員登録をクリックしていただくと、新規会員仮登録メール送信画面に移動します。
メールアドレスを入力して会員登録をお願い致します。
1ユーザーごとの登録をお願い致します。(1ユーザー1アカウントです)

googleAdScence