医薬経済オンライン

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移植医・大島伸一回顧録

学会

第6回

ノンフィクション・ライター 髙橋幸春

2017年9月15日号

 岩月舜三郎が米国に帰国したのは1975年のことだった。大島伸一は30歳になったばかりで、普通の外科医としても、一人前とはとても言えない年齢だ。それでも、若い中京病院のチームの中では最年長として、移植を引っ張っていかなければならなかった。 岩月の指導を受けている間であれば、緊急事態が起きても助けてもらえた。だが、その岩月はもういない。正直に言えば、手術は怖かった。しかし、そんな不安な様子は見せられない。 大島はどんなにつらい立場に立たされても、酒で憂さを晴らすことはしなかった。もともと強くもないし、酒は楽しく飲むものだと思っているからでもあった。だが、苦い酒もある。 岩月がまだ中京病院に籍を置き、移植手術の先頭に立っていた頃のことだ。しばしば、酒席をともにした。「俺は腹を括っているが、お前も死んだら地獄へ行け」 酩酊した岩月が唐突に言い放...  岩月舜三郎が米国に帰国したのは1975年のことだった。大島伸一は30歳になったばかりで、普通の外科医としても、一人前とはとても言えない年齢だ。それでも、若い中京病院のチームの中では最年長として、移植を引っ張っていかなければならなかった。 岩月の指導を受けている間であれば、緊急事態が起きても助けてもらえた。だが、その岩月はもういない。正直に言えば、手術は怖かった。しかし、そんな不安な様子は見せられない。 大島はどんなにつらい立場に立たされても、酒で憂さを晴らすことはしなかった。もともと強くもないし、酒は楽しく飲むものだと思っているからでもあった。だが、苦い酒もある。 岩月がまだ中京病院に籍を置き、移植手術の先頭に立っていた頃のことだ。しばしば、酒席をともにした。「俺は腹を括っているが、お前も死んだら地獄へ行け」 酩酊した岩月が唐突に言い放った

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