移植医・大島伸一回顧録
東海腎臓バンク
第7回
ノンフィクション・ライター 髙橋幸春
2017年10月1日号
中京病院で移植を始めてから5年が経過した1978年1月、大島伸一は初めて死体腎移植を手掛けることになった。連絡をくれた金沢医科大学病院によると、ドナーが現れ、腎臓が2つとも摘出されるという。 2つの腎臓のうちのひとつが中京病院に運ばれ、レシピエントに移植されることになった。 当時、ドナーは60歳以下という年齢制限が設けられていたが、レシピエントの選択は医師の自己裁量で決めることが可能だった。移植を希望する慢性腎不全患者のなかから、血液型、HLA(ヒト白血球抗原)が最も適合する患者を選んだ。中京病院で手術を受けるレシピエントは、成人式を直前に控えた男性だった。 大島にとって、心臓が停止したドナーからの腎移植はこれが初めての経験だった。生体腎移植よりもレシピエントへの生着率が低くなることなどは論文を通じて知っていた。だが術後、実際にどのよ...
中京病院で移植を始めてから5年が経過した1978年1月、大島伸一は初めて死体腎移植を手掛けることになった。連絡をくれた金沢医科大学病院によると、ドナーが現れ、腎臓が2つとも摘出されるという。 2つの腎臓のうちのひとつが中京病院に運ばれ、レシピエントに移植されることになった。 当時、ドナーは60歳以下という年齢制限が設けられていたが、レシピエントの選択は医師の自己裁量で決めることが可能だった。移植を希望する慢性腎不全患者のなかから、血液型、HLA(ヒト白血球抗原)が最も適合する患者を選んだ。中京病院で手術を受けるレシピエントは、成人式を直前に控えた男性だった。 大島にとって、心臓が停止したドナーからの腎移植はこれが初めての経験だった。生体腎移植よりもレシピエントへの生着率が低くなることなどは論文を通じて知っていた。だが術後、実際にどのような
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