移植医・大島伸一回顧録
臓器移植ネットワーク
第11回
ノンフィクション・ライター 髙橋幸春
2017年12月1日号
東海腎バンクが発足してから5年が経過した1983年、東海腎バンクと愛知方式は順調に機能していた。それが、愛知県の死体腎移植数全国1位につながった。 移植医療をさらに推進しようと考えていた大島伸一と仲間たちは、ドナーの出現をただ待っているのではなく、脳外科医、救命救急医にも腎臓の提供を患者遺族に促すよう説得を繰り返した。愛知県で死体腎移植が増えたのは、その結果でもあった。愛知方式には、患者自身が希望する病院で移植を受けられないという問題もあったが、一定の効果は上げていた。 一方、80年代に入ると、脳死問題が医師レベルだけではなく、社会全般で論議されるようになった。 脳死状態。心臓が動いていても、脳が死んでいれば、それは人間の死だとする考え方だ。 脳死に関連する討論会に呼ばれるなどして、大島は移植医としての意見を述べる機会が増えた。会場では...
東海腎バンクが発足してから5年が経過した1983年、東海腎バンクと愛知方式は順調に機能していた。それが、愛知県の死体腎移植数全国1位につながった。 移植医療をさらに推進しようと考えていた大島伸一と仲間たちは、ドナーの出現をただ待っているのではなく、脳外科医、救命救急医にも腎臓の提供を患者遺族に促すよう説得を繰り返した。愛知県で死体腎移植が増えたのは、その結果でもあった。愛知方式には、患者自身が希望する病院で移植を受けられないという問題もあったが、一定の効果は上げていた。 一方、80年代に入ると、脳死問題が医師レベルだけではなく、社会全般で論議されるようになった。 脳死状態。心臓が動いていても、脳が死んでいれば、それは人間の死だとする考え方だ。 脳死に関連する討論会に呼ばれるなどして、大島は移植医としての意見を述べる機会が増えた。会場では賛否
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