時流遡航
哲学の脇道遊行記―その概観考察
第6回 ─哲学という学問は何のために存在するのか─
本田成親
2018年3月15日号
哲学というものが本来的には「智を愛し求めること」を含みとする学問であるならば、専門家ではない私たちが、その世界にちょっとだけ足を踏み入れ、身の丈に適った方法で、本道からは些か外れた脇道や裏道の散策を続けるにはどんな心構えが必要なのでしょうか。 すでに述べてきましたように、哲学というと、庶民にはおよそ無縁な高度で難解な知識概念を教授したり、古来不変とされる絶対的真理を伝授したりする学問だと思われがちです。実際、若くて未熟な時代の私もまたそう信じていたものでした。しかしながら、その後次第に、哲学の世界に対する私の見解は若い頃のそれとは違うものへと変わっていきました。 どうやら、哲学とは、一部の人々に向かって深遠かつ高邁な知見や不変の絶対的な真理を説くための学問というよりは、生来無知で迷い多きわれわれ普通の人間の日々の生活にそっと寄り添い、...
哲学というものが本来的には「智を愛し求めること」を含みとする学問であるならば、専門家ではない私たちが、その世界にちょっとだけ足を踏み入れ、身の丈に適った方法で、本道からは些か外れた脇道や裏道の散策を続けるにはどんな心構えが必要なのでしょうか。 すでに述べてきましたように、哲学というと、庶民にはおよそ無縁な高度で難解な知識概念を教授したり、古来不変とされる絶対的真理を伝授したりする学問だと思われがちです。実際、若くて未熟な時代の私もまたそう信じていたものでした。しかしながら、その後次第に、哲学の世界に対する私の見解は若い頃のそれとは違うものへと変わっていきました。 どうやら、哲学とは、一部の人々に向かって深遠かつ高邁な知見や不変の絶対的な真理を説くための学問というよりは、生来無知で迷い多きわれわれ普通の人間の日々の生活にそっと寄り添い、素朴
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