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時流遡行

哲学の脇道遊行記―その概観考察

第9回 ─哲学的思考は「当たり前の物事」の裏を探る─

本田成親

2018年5月1日号

 証明という思考過程が適切に機能し、その過程の対象となっている事象の確実さや正しさ、すなわち明証性が導出されるためには、誰もが直感的あるいは直観的にそれを当然かつ正当なものとして受け入れることのできるような前提概念が不可欠だということは、すでに述べてきたとおりです。数学の世界を例にとれば、絶対的な約束事として証明抜きでその正当性を容認することが求められる定義や公理がそれに相当しています。 実際問題として、通常、我われはよほどのことがない限り、証明の前提となっている定義類の正当性を疑うことはありませんし、証明というものの背後に隠れ潜む闇の世界を垣間見ることなどもまずありません。ですが、哲学的思考というものは、一見した限りでは当然至極に思われる明瞭かつ明確そのものの事象にも裏の姿があることを教えてくれるわけなのです。 端的に言えば、「当たり...  証明という思考過程が適切に機能し、その過程の対象となっている事象の確実さや正しさ、すなわち明証性が導出されるためには、誰もが直感的あるいは直観的にそれを当然かつ正当なものとして受け入れることのできるような前提概念が不可欠だということは、すでに述べてきたとおりです。数学の世界を例にとれば、絶対的な約束事として証明抜きでその正当性を容認することが求められる定義や公理がそれに相当しています。 実際問題として、通常、我われはよほどのことがない限り、証明の前提となっている定義類の正当性を疑うことはありませんし、証明というものの背後に隠れ潜む闇の世界を垣間見ることなどもまずありません。ですが、哲学的思考というものは、一見した限りでは当然至極に思われる明瞭かつ明確そのものの事象にも裏の姿があることを教えてくれるわけなのです。 端的に言えば、「当たり前の

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