白血病になった社長
職場復帰後、白血病細胞が増加
第3回 患者として人生に向き合う
ACメディカル代表取締役社長 昌原清植
2018年7月15日号
退院後も輸血が必要な状態はしばらく続きました。何しろ会社の前のゆるやかな坂道でさえも息切れがしてしまって上れないのです。階段の昇降など論外で、電車にも乗れません。赤血球や血小板の成分輸血を受けるため、12年12月にフィラデルフィア染色体陽性成人急性リンパ性白血病を発症してから、14年5月中旬くらいまで病院通いが続いたように記憶しています。副作用や合併症の治療のために、皮膚科や歯科、眼科も併診していたため、診察日が重なると、外来が朝から晩までかかることもありました。ただ、そうした治療の甲斐もあって、発症から長期間「休職」扱いになっていた会社にも、14年4月頃からは週1~2回、8月に入ると週3回程度、顔を出せるくらいにまで回復していきました。 14年10月16日。この日のことは今でもはっきりと覚えています。体力も徐々に回復し、通勤にも慣れて、「さぁ、こ...
退院後も輸血が必要な状態はしばらく続きました。何しろ会社の前のゆるやかな坂道でさえも息切れがしてしまって上れないのです。階段の昇降など論外で、電車にも乗れません。赤血球や血小板の成分輸血を受けるため、12年12月にフィラデルフィア染色体陽性成人急性リンパ性白血病を発症してから、14年5月中旬くらいまで病院通いが続いたように記憶しています。副作用や合併症の治療のために、皮膚科や歯科、眼科も併診していたため、診察日が重なると、外来が朝から晩までかかることもありました。ただ、そうした治療の甲斐もあって、発症から長期間「休職」扱いになっていた会社にも、14年4月頃からは週1~2回、8月に入ると週3回程度、顔を出せるくらいにまで回復していきました。 14年10月16日。この日のことは今でもはっきりと覚えています。体力も徐々に回復し、通勤にも慣れて、「さぁ、これか
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