戦後を支えた医師らが築いた沖縄ERの基礎
患者本位の医療の源流を辿る
2018年10月15日号
今年8月に沖縄へ出張の折に心筋梗塞で倒れ、迅速な救命措置で助かったことを本誌9月1日号の「一筆入魂」でお伝えしたが、米国のER型(Emergency Room)を取り入れた沖縄の救急医療を育んできた県立中部病院の宮城良充元院長(写真)が沖縄で取材に応じてくれた。 「救急医療が充実していると言われるのは、実は戦後の沖縄が置かれた逆境の賜物でもあるんです」 話を聞いてみると、戦後の混乱期に生き残った医師たちが、逆境のなかで培った総合医としてのスキルと、米国スタイルがマッチして沖縄の救急医療が形作られたことがわかる。本土ではなかなか実現できない患者本位のシステムが息づいている。 1945年の沖縄戦での死者は、20万人にのぼる。このうち沖縄出身者は軍人・軍属などを合わせると12万人余りだ。当然、医師の多くは戦死し、残されたのは、たった64人だったという。 終戦直...
今年8月に沖縄へ出張の折に心筋梗塞で倒れ、迅速な救命措置で助かったことを本誌9月1日号の「一筆入魂」でお伝えしたが、米国のER型(Emergency Room)を取り入れた沖縄の救急医療を育んできた県立中部病院の宮城良充元院長(写真)が沖縄で取材に応じてくれた。 「救急医療が充実していると言われるのは、実は戦後の沖縄が置かれた逆境の賜物でもあるんです」 話を聞いてみると、戦後の混乱期に生き残った医師たちが、逆境のなかで培った総合医としてのスキルと、米国スタイルがマッチして沖縄の救急医療が形作られたことがわかる。本土ではなかなか実現できない患者本位のシステムが息づいている。 1945年の沖縄戦での死者は、20万人にのぼる。このうち沖縄出身者は軍人・軍属などを合わせると12万人余りだ。当然、医師の多くは戦死し、残されたのは、たった64人だったという。 終戦直後、
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