医薬経済オンライン

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読む医療—医師が書いた本の斜め読み—

在宅ホスピスの意義は理解できるが

第109回

鍛冶孝雄

2018年11月15日号

 国民の半分ががんで死ぬ時代。がんの終末期医療である緩和ケア、ホスピスという言葉は一般的に浸透しているが、正確に理解されているのだろうか。また、緩和ケア、医療と介護の協働を含む「ホスピス」はがん治療のステージでのみ行われるものだと認識されていないだろうか。 私は、緩和ケア、ホスピスのワードを見つけるたびに、捻くれて、そう考え込むくせがついている。認知症は介護>看護・医療、終末期がんは看護・医療>介護という区分で世間が語っているように思えてならない。「認知症になるくらいならがんで死にたい」は、気持ちは理解できるが、決して理性的な言葉ではない。やがて同じ死を迎えるのに、そこにヒエラルキー的な落差を見つけているような「世間的錯誤」は、実際にそのケアの質量で落差を生んでいる。 今回の読書は、今年3月に上梓された山崎章郎著の『「在宅ホスピス」...  国民の半分ががんで死ぬ時代。がんの終末期医療である緩和ケア、ホスピスという言葉は一般的に浸透しているが、正確に理解されているのだろうか。また、緩和ケア、医療と介護の協働を含む「ホスピス」はがん治療のステージでのみ行われるものだと認識されていないだろうか。 私は、緩和ケア、ホスピスのワードを見つけるたびに、捻くれて、そう考え込むくせがついている。認知症は介護>看護・医療、終末期がんは看護・医療>介護という区分で世間が語っているように思えてならない。「認知症になるくらいならがんで死にたい」は、気持ちは理解できるが、決して理性的な言葉ではない。やがて同じ死を迎えるのに、そこにヒエラルキー的な落差を見つけているような「世間的錯誤」は、実際にそのケアの質量で落差を生んでいる。 今回の読書は、今年3月に上梓された山崎章郎著の『「在宅ホスピス」とい

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