製薬業界と平成の30年
Interview ヒューマンサイエンス振興財団会長(元アステラス製薬社長)・竹中登一
2019年4月1日号
国際化めざした山之内「30年の計」――平成の30年を振り返って。竹中 私の平成は、会社をグローバル化するところからスタートしている。そのひとつの方法として(藤沢薬品との)合併を選び、アステラス製薬につないだ。それはグローバルでの研究開発力と販売力を強化するためだった。昭和の時代の創薬というのは、(標的が)どういう病気に関与しているかみるのではなく、(新薬候補)化合物に対する生物学的な反応から、例えばβ遮断薬を投与すると徐脈になるから、不整脈の薬になるのではないか、そういう研究をやっていた。運よく80年代に山之内製薬は「ペルジピン」が市場をつくり、そのあと「ハルナール」「ガスター」などが出てきた。 山之内はまだその頃、古いタイプの創薬に自信を持っていた。のちにはこれらの成功体験から、なかなかバイオ医薬品には移れなかった反省があるが、この時代は「追撃...
国際化めざした山之内「30年の計」――平成の30年を振り返って。竹中 私の平成は、会社をグローバル化するところからスタートしている。そのひとつの方法として(藤沢薬品との)合併を選び、アステラス製薬につないだ。それはグローバルでの研究開発力と販売力を強化するためだった。昭和の時代の創薬というのは、(標的が)どういう病気に関与しているかみるのではなく、(新薬候補)化合物に対する生物学的な反応から、例えばβ遮断薬を投与すると徐脈になるから、不整脈の薬になるのではないか、そういう研究をやっていた。運よく80年代に山之内製薬は「ペルジピン」が市場をつくり、そのあと「ハルナール」「ガスター」などが出てきた。 山之内はまだその頃、古いタイプの創薬に自信を持っていた。のちにはこれらの成功体験から、なかなかバイオ医薬品には移れなかった反省があるが、この時代は「追撃型」
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