医薬経済オンライン

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製薬業界と平成の30年

規則ばかり厳しくなったMR

本来の役割を果たす時代は来るのか

2019年4月1日号

 平成が始まったばかりの頃、バブル経済に浮かれるのは製薬企業も同じだった。 「接待に年間1000万円使ったよ」と淡々と話すのは、昭和から平成にかけてMRをしていた60歳代の男性だ。大阪に本社を置く中堅企業で、都心の大学病院を担当していた。製品の売上高に対し、1割の経費が認められていたという。  89(平成元)年の大学卒の初任給は16万円の時代、初めて医師と行った赤坂のクラブの金額は、2人で6万円。高額な請求書に驚いたが、営業所に戻ればすんなり清算のハンコを押してもらえた。「3日で金銭感覚は麻痺した」。財布には常に現金10万円を入れるようになった。「金が使えないやつは、営業じゃないという感じだった」。  当時の大学病院での営業活動を振り返ってもらった。  午前6時に医局に行けば、すでに教授は勉強中。当直明けの医師も...  平成が始まったばかりの頃、バブル経済に浮かれるのは製薬企業も同じだった。 「接待に年間1000万円使ったよ」と淡々と話すのは、昭和から平成にかけてMRをしていた60歳代の男性だ。大阪に本社を置く中堅企業で、都心の大学病院を担当していた。製品の売上高に対し、1割の経費が認められていたという。  89(平成元)年の大学卒の初任給は16万円の時代、初めて医師と行った赤坂のクラブの金額は、2人で6万円。高額な請求書に驚いたが、営業所に戻ればすんなり清算のハンコを押してもらえた。「3日で金銭感覚は麻痺した」。財布には常に現金10万円を入れるようになった。「金が使えないやつは、営業じゃないという感じだった」。  当時の大学病院での営業活動を振り返ってもらった。  午前6時に医局に行けば、すでに教授は勉強中。当直明けの医師もい

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