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経済記事の読み方

平成の金融業界30年史

激動期を超えた先の「平時」の意味

2019年4月1日号

 この数年、かつて金融業界が経験した激動の時代を振り返る出版物が目に付く。元号が平成となった1989年から30年の金融業界を俯瞰すると、20年間は確かに激動期にあるが、この10年は業界の流れを変えるほどの出来事がない。読む側も、平時の現在、有事を懐かしむ回顧心理がより一層働くのかもしれない。  30年を10年刻みで見てみる。89年から99年までの10年間(平成元年~11年)は、金融制度改革と都銀の合併そして金融不安である。この10年は文字通り激動の絶頂期といえる。  13行あった都市銀行のうち、中位行の三井と太陽神戸が90(平成2)年に合併した。翌91(平成3)年には下位行の協和と埼玉が合併して協和埼玉銀行が発足。そして96(平成8)年に三菱銀行が外国為替法専門銀行の東京銀行と合併して東京三菱銀行となり、都銀は10行体制となる。それまで都銀は第一勧業、...  この数年、かつて金融業界が経験した激動の時代を振り返る出版物が目に付く。元号が平成となった1989年から30年の金融業界を俯瞰すると、20年間は確かに激動期にあるが、この10年は業界の流れを変えるほどの出来事がない。読む側も、平時の現在、有事を懐かしむ回顧心理がより一層働くのかもしれない。  30年を10年刻みで見てみる。89年から99年までの10年間(平成元年~11年)は、金融制度改革と都銀の合併そして金融不安である。この10年は文字通り激動の絶頂期といえる。  13行あった都市銀行のうち、中位行の三井と太陽神戸が90(平成2)年に合併した。翌91(平成3)年には下位行の協和と埼玉が合併して協和埼玉銀行が発足。そして96(平成8)年に三菱銀行が外国為替法専門銀行の東京銀行と合併して東京三菱銀行となり、都銀は10行体制となる。それまで都銀は第一勧業、富

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