国が延命装置で生きるNECの「明日」
早くも先が思いやられる「ヘルスケアビジネス」
2019年8月1日号
「お前たちは、明日からはもう下請けだからな。そこを忘れないように!」
昨年12月末、日本電気(NEC)を希望退職した筆者の知人は、会社主催の送別会の席上、直属の部長からこう告げられたという。この餞別らしき言葉を前に知人は、「何度リストラを繰り返す目に遭っても、骨の髄まで沁み込んだお上意識は抜けないな」と、30余年勤めた会社の風土に肩をすくめた。
80年代後半に半導体の生産量で世界一となり、また、PC/AT互換機の普及前は「PC-9800」シリーズで国内のパソコン市場の9割強を抑えていたNEC。東京・三田に建つ超高層の特徴的なかたちをした同社の本社ビルは、NECの経営と事業が頂点を極めていた頃のシンボルである。
当時、「向かうところ、世界中に敵なし」と思えた同社が、現実には20年以上にわたって没落し、多くの事業を売却してもなお安...
「お前たちは、明日からはもう下請けだからな。そこを忘れないように!」
昨年12月末、日本電気(NEC)を希望退職した筆者の知人は、会社主催の送別会の席上、直属の部長からこう告げられたという。この餞別らしき言葉を前に知人は、「何度リストラを繰り返す目に遭っても、骨の髄まで沁み込んだお上意識は抜けないな」と、30余年勤めた会社の風土に肩をすくめた。
80年代後半に半導体の生産量で世界一となり、また、PC/AT互換機の普及前は「PC-9800」シリーズで国内のパソコン市場の9割強を抑えていたNEC。東京・三田に建つ超高層の特徴的なかたちをした同社の本社ビルは、NECの経営と事業が頂点を極めていた頃のシンボルである。
当時、「向かうところ、世界中に敵なし」と思えた同社が、現実には20年以上にわたって没落し、多くの事業を売却してもなお安定均
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