「市民感情」か「疑わしきは罰せず」か
東電無罪判決に見る刑事司法の限界
元特捜部主任検事 前田恒彦
2019年10月1日号
11年3月の東京電力福島第1原発事故をめぐり、東京地裁は元会長ら旧経営陣3人に無罪判決を言い渡した。被災者の無念の思いは察するに余りあるし、後味の悪さも否めない。しかし、これが刑事司法の限界にほかならない。
すなわち、彼らに対する容疑は、①全電源喪失で原子炉冷却が不能になるほどの大規模な津波を予見できたのに、②その予見の程度に見合うだけの十分な対策をとらないまま原発を稼働し、大震災発生に伴う事故を防げず、③その結果、原子炉建屋の水素爆発で自衛官ら13人を負傷させ、長時間の避難を余儀なくされた入院患者ら44人を死亡させた︱︱というものだった。
しかし、道義的責任や経営責任を超え、彼らに刑事責任まで負わせるには難があった。①②の事実を一貫して否認しており、訴追側が確固たる証拠に基づいて立証しなければならなかったからだ。
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11年3月の東京電力福島第1原発事故をめぐり、東京地裁は元会長ら旧経営陣3人に無罪判決を言い渡した。被災者の無念の思いは察するに余りあるし、後味の悪さも否めない。しかし、これが刑事司法の限界にほかならない。
すなわち、彼らに対する容疑は、①全電源喪失で原子炉冷却が不能になるほどの大規模な津波を予見できたのに、②その予見の程度に見合うだけの十分な対策をとらないまま原発を稼働し、大震災発生に伴う事故を防げず、③その結果、原子炉建屋の水素爆発で自衛官ら13人を負傷させ、長時間の避難を余儀なくされた入院患者ら44人を死亡させた︱︱というものだった。
しかし、道義的責任や経営責任を超え、彼らに刑事責任まで負わせるには難があった。①②の事実を一貫して否認しており、訴追側が確固たる証拠に基づいて立証しなければならなかったからだ。
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