一筆入魂
ウルトラのレジェンドとの「約束」
3.11の被災地ランを続けるわけ
ノンフィクション作家 辰濃哲郎
2020年4月1日号
東日本大震災から3年が経った14年3月11日のことだ。まだ夜が明け切らない午前4時過ぎ、暗がりのなか、私たち3人は宮城県のJR石巻駅を出発した。
ランニングウェアの上に重ね着をして、白い息を吐きながら薄氷の張った国道沿いの歩道を走る。
震災時の津波の被害でコンクリートが剥がれるなどして走りにくいが、やがて一定のリズムを刻んで3人の呼吸が合ってくる。
東京からの参加は、私とランニング仲間のO君だ。地元の宮城からは、仙台市の五島政博さん(72)が一緒に走ってくれた。ウルトラマラソン界では「レジェンド」と呼ばれるランナーだ。3人でめざしたのは約38㎞先の「雄勝」だ。
その雄勝半島の海沿いにあった3階建ての石巻市立雄勝病院には、あの日、患者40人と医師や看護師ら28人の職員がいた。
震災の大きな揺れの...
東日本大震災から3年が経った14年3月11日のことだ。まだ夜が明け切らない午前4時過ぎ、暗がりのなか、私たち3人は宮城県のJR石巻駅を出発した。
ランニングウェアの上に重ね着をして、白い息を吐きながら薄氷の張った国道沿いの歩道を走る。
震災時の津波の被害でコンクリートが剥がれるなどして走りにくいが、やがて一定のリズムを刻んで3人の呼吸が合ってくる。
東京からの参加は、私とランニング仲間のO君だ。地元の宮城からは、仙台市の五島政博さん(72)が一緒に走ってくれた。ウルトラマラソン界では「レジェンド」と呼ばれるランナーだ。3人でめざしたのは約38㎞先の「雄勝」だ。
その雄勝半島の海沿いにあった3階建ての石巻市立雄勝病院には、あの日、患者40人と医師や看護師ら28人の職員がいた。
震災の大きな揺れのあ
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