財界論
1強のルーツと財界統合の舞台裏、政策実現度と民僚
第4回
茨城大学名誉教授 古賀純一郎
2021年1月15日号
日本経団連のルーツが三井財閥の総帥団琢磨氏が理事長を務め、大正時代に一大権勢を誇った日本工業倶楽部であることは意外に知られていない。きっかけは、日清・日露戦争を経て急速に力をつけてきた三井、三菱、大倉、安田などの財閥が自分たちの望む政策を政府に迫るため結集、1917年(大正6年)に創設された。
効果はあったのか。第1次世界大戦の講和会議(1919年)で欧米の列強が国際競争をなくすため各国の労働条件を同一にする条項をヴェルサイユ条約へ盛り込ませようとした策動を察知した団氏が「絶対反対」の電報を送付、在パリの全権代表団を動かして、頓挫させたことなどが知られている。
当時、1878年(明治11年)設立の経済団体「東京商法会議所」はあった。だが、手工業者が中心のため産業資本家が軽んじられる傾向があり、不満を募らせていた。
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日本経団連のルーツが三井財閥の総帥団琢磨氏が理事長を務め、大正時代に一大権勢を誇った日本工業倶楽部であることは意外に知られていない。きっかけは、日清・日露戦争を経て急速に力をつけてきた三井、三菱、大倉、安田などの財閥が自分たちの望む政策を政府に迫るため結集、1917年(大正6年)に創設された。
効果はあったのか。第1次世界大戦の講和会議(1919年)で欧米の列強が国際競争をなくすため各国の労働条件を同一にする条項をヴェルサイユ条約へ盛り込ませようとした策動を察知した団氏が「絶対反対」の電報を送付、在パリの全権代表団を動かして、頓挫させたことなどが知られている。
当時、1878年(明治11年)設立の経済団体「東京商法会議所」はあった。だが、手工業者が中心のため産業資本家が軽んじられる傾向があり、不満を募らせていた。
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