10年間、遺族が秘めた病院副院長としての「指示」
3.11の雄勝の悲劇で「患者を置いて逃げられない」
ノンフィクション作家 辰濃哲郎
2021年4月1日号
あれから10年が経ついまも、書くべきか迷う言葉がある。
「患者を置いて逃げられない。さぁ、戻りましょう」
東日本大震災のあった3月11日、宮城県石巻市の雄勝湾に面した市立雄勝病院での悲劇だ。大きな揺れの後、病院幹部が裏の駐車場で様子をうかがっていた。近所の長老らが裏山への避難を呼びかけたとき、そこにいた鈴木孝壽副院長(当時58歳)が答えた言葉だ。
病院は津波にのまれ、入院患者40人と職員24人の計64人が亡くなった。
患者を置いて逃げられないという医療従事者としての宿命は、同時に彼らのプライドでもある。だが一方、28人の職員が残ることになった。結果的には、屋上から流された職員のうち、助かったのは4人だ。鈴木副院長の、あの言葉は、職員たちの命を左右する言葉になったのも事実だ。
この言葉を書け...
あれから10年が経ついまも、書くべきか迷う言葉がある。
「患者を置いて逃げられない。さぁ、戻りましょう」
東日本大震災のあった3月11日、宮城県石巻市の雄勝湾に面した市立雄勝病院での悲劇だ。大きな揺れの後、病院幹部が裏の駐車場で様子をうかがっていた。近所の長老らが裏山への避難を呼びかけたとき、そこにいた鈴木孝壽副院長(当時58歳)が答えた言葉だ。
病院は津波にのまれ、入院患者40人と職員24人の計64人が亡くなった。
患者を置いて逃げられないという医療従事者としての宿命は、同時に彼らのプライドでもある。だが一方、28人の職員が残ることになった。結果的には、屋上から流された職員のうち、助かったのは4人だ。鈴木副院長の、あの言葉は、職員たちの命を左右する言葉になったのも事実だ。
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