評伝 カタリン・カリコ(Katalin kalikó) 激動の人生とその軌跡−mRNAワクチンが人類を救う−
戦い続ける科学者
評伝 カタリン・カリコ 第6回
吉成 河法吏
2021年12月1日号
筆者も時代史的には、カタリン・カリコ博士と同時代を生きてきた。
大学の自治、学費値上げ反対などを求めた学生運動が、全国的に拡大するなか、全学共闘会議(全共闘)と新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していたが、1969(昭和44)年1月18〜19日に、大学から依頼を受けた国家権力の警視庁が大学に入り、その占拠の封鎖解除を行った。そして、その年の東大の入学試験は中止となった。
この安田講堂事件から学生運動が下火になっていったが、3年後の72(昭和47)年2月、連合赤軍による「あさま山荘事件」が起こり、日本に衝撃を与えた。新左翼連合赤軍のメンバー5人が、軽井沢のあさま山荘に人質をとり、2月19日から機動隊が強行突入した2月28日までの10日間、ほとんどの人がテレビに釘付けにされた。その人質解放に成功したあと、筆者...
筆者も時代史的には、カタリン・カリコ博士と同時代を生きてきた。
大学の自治、学費値上げ反対などを求めた学生運動が、全国的に拡大するなか、全学共闘会議(全共闘)と新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していたが、1969(昭和44)年1月18〜19日に、大学から依頼を受けた国家権力の警視庁が大学に入り、その占拠の封鎖解除を行った。そして、その年の東大の入学試験は中止となった。
この安田講堂事件から学生運動が下火になっていったが、3年後の72(昭和47)年2月、連合赤軍による「あさま山荘事件」が起こり、日本に衝撃を与えた。新左翼連合赤軍のメンバー5人が、軽井沢のあさま山荘に人質をとり、2月19日から機動隊が強行突入した2月28日までの10日間、ほとんどの人がテレビに釘付けにされた。その人質解放に成功したあと、筆者は
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