読む医療ー医者が書いた本の斜め読みー
延命か尊厳か進路は険しい
第197回
2022年7月15日号
人はどう死ぬのか
久坂部羊
講談社現代新書
2022年3月刊
このコラムで私は何回か、尊厳死や平穏死という言葉に対する肌が粟立つような嫌悪と、そうした言葉の肯定が「安楽死」への坂を滑っていくのではないかとの懸念を表明してきた。また、医師が死生観を語り、「あるべき死」を語ることにも強い違和感を表明してきた。それらは、医師に「死すべき定め」の裁量を預けることになりはしないか、何度も書いてきた。
だが、前回7月1日号のジャン=ダヴィド・ゼトゥンの『延びすぎた寿命』といい、駒ヶ嶺朋子著の『死の医学』も含めて、アトゥール・ガワンデ以降、死に向き合う、あるいは望まない死のかたちなどに言及する医師たちは増えてきた。看取りの現場で、死出の旅立ちに寄り添ったために殺人の罪を問われた医師たちや、病院医療と在宅医療の本質的な看取りのマイン...
人はどう死ぬのか
久坂部羊
講談社現代新書
2022年3月刊
このコラムで私は何回か、尊厳死や平穏死という言葉に対する肌が粟立つような嫌悪と、そうした言葉の肯定が「安楽死」への坂を滑っていくのではないかとの懸念を表明してきた。また、医師が死生観を語り、「あるべき死」を語ることにも強い違和感を表明してきた。それらは、医師に「死すべき定め」の裁量を預けることになりはしないか、何度も書いてきた。
だが、前回7月1日号のジャン=ダヴィド・ゼトゥンの『延びすぎた寿命』といい、駒ヶ嶺朋子著の『死の医学』も含めて、アトゥール・ガワンデ以降、死に向き合う、あるいは望まない死のかたちなどに言及する医師たちは増えてきた。看取りの現場で、死出の旅立ちに寄り添ったために殺人の罪を問われた医師たちや、病院医療と在宅医療の本質的な看取りのマインド
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