医薬経済オンライン

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くすりと切手と音楽を

プッチーニとがん

(財)MR教育センター常務理事 平林敏彦

2008年12月15日号

 イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニは、5代続いた音楽家の家に1858年、ピサ近くの町ルッカで生まれた。ミラノ音楽院を卒業後オペラの作曲を始め、生涯に12作品を残した。オペラの舞台は、《トスカ》がローマ、《蝶々夫人》が長崎、《ラ・ボエーム》がパリ、《西部の娘》がカリフォルニア、《トゥーランドット》が北京と、世界各地に跨っており、彼の異国趣味を窺うことができる。 1904年の《蝶々夫人》初演は失敗したが、改作での再演は大成功した。このオペラのなかには〈越後獅子〉や〈宮さん宮さん〉、〈さくらさくら〉、〈お江戸日本橋〉他の日本の旋律が使われ、それらを聴き当てるのも面白い。また、日本人初の世界的ソプラノである三浦環は、蝶々さんを2000回以上歌っており、プッチーニも観ている。彼女が毛筆で「ぷっちーにせんせいへ」と書いた手紙が記念館に展示されてい...  イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニは、5代続いた音楽家の家に1858年、ピサ近くの町ルッカで生まれた。ミラノ音楽院を卒業後オペラの作曲を始め、生涯に12作品を残した。オペラの舞台は、《トスカ》がローマ、《蝶々夫人》が長崎、《ラ・ボエーム》がパリ、《西部の娘》がカリフォルニア、《トゥーランドット》が北京と、世界各地に跨っており、彼の異国趣味を窺うことができる。 1904年の《蝶々夫人》初演は失敗したが、改作での再演は大成功した。このオペラのなかには〈越後獅子〉や〈宮さん宮さん〉、〈さくらさくら〉、〈お江戸日本橋〉他の日本の旋律が使われ、それらを聴き当てるのも面白い。また、日本人初の世界的ソプラノである三浦環は、蝶々さんを2000回以上歌っており、プッチーニも観ている。彼女が毛筆で「ぷっちーにせんせいへ」と書いた手紙が記念館に展示されている

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