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日本橋本町界隈の今昔

2024年1月1日号

 人は生まれ育った土地や働いていた場所に郷愁を覚え、懐かしく時に美化し思い起こすことがあるだろう。筆者が22歳の春(1966年)に、社会人としての第一歩を踏み出したのは、日本橋本町(三越前)であった。駅から徒歩3分で会社についた。学生気分が抜けきらず社会人としての自覚がやや欠けていた反省感もある。  そこが大阪の道修町と並ぶ「クスリの街」と言われているのは後になって知ったことである。率直に言って、オフィス街としては、丸の内や大手町に比べかなり見劣りのするものであった。  そこに日本を代表する製薬会社が集まっている、とは知る由もなかった。がともかく、この日本橋本町が私の社会人としての原点であり、出発の地であることはまぎれもない事実である。  人は生まれ育った土地や働いていた場所に郷愁を覚え、懐かしく時に美化し思い起こすことがあるだろう。筆者が22歳の春(1966年)に、社会人としての第一歩を踏み出したのは、日本橋本町(三越前)であった。駅から徒歩3分で会社についた。学生気分が抜けきらず社会人としての自覚がやや欠けていた反省感もある。  そこが大阪の道修町と並ぶ「クスリの街」と言われているのは後になって知ったことである。率直に言って、オフィス街としては、丸の内や大手町に比べかなり見劣りのするものであった。  そこに日本を代表する製薬会社が集まっている、とは知る由もなかった。がともかく、この日本橋本町が私の社会人としての原点であり、出発の地であることはまぎれもない事実である。

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