「ポスト岸田」と自民厚労族の行き先
派閥解散と離脱の裏で繰り広げられる主導権争い
2024年3月1日号
「あいつ(田村憲久氏)は派閥クラッシャーだからな」
そんな話をするのは、田村氏を良く知る地元・三重の土木建築業界の関係者だ。田村氏と言えば、厚生労働分野をライフワークにする自民厚労族のリーダー的存在。しかし、初めて厚労相を務め、退任した14年には、それまで所属した平成研究会(現茂木派、当時の額賀派)を退会し無派閥になった。翌15年には、元幹事長の石破茂氏が立ち上げた水月会(石破派)に参加している。
田村氏は19年には水月会事務総長に就くなど、最側近のひとりとして石破氏を支えたが、総裁選敗北などで石破氏の求心力が低下。21年に石破派は解消となり、緩やかな議員グループに移行した。
再び無派閥となった田村氏は23年9月、心機一転、岸田文雄首相率いる宏池会(岸田派)に入会した。永田町では「将来、首相を狙う...
「あいつ(田村憲久氏)は派閥クラッシャーだからな」
そんな話をするのは、田村氏を良く知る地元・三重の土木建築業界の関係者だ。田村氏と言えば、厚生労働分野をライフワークにする自民厚労族のリーダー的存在。しかし、初めて厚労相を務め、退任した14年には、それまで所属した平成研究会(現茂木派、当時の額賀派)を退会し無派閥になった。翌15年には、元幹事長の石破茂氏が立ち上げた水月会(石破派)に参加している。
田村氏は19年には水月会事務総長に就くなど、最側近のひとりとして石破氏を支えたが、総裁選敗北などで石破氏の求心力が低下。21年に石破派は解消となり、緩やかな議員グループに移行した。
再び無派閥となった田村氏は23年9月、心機一転、岸田文雄首相率いる宏池会(岸田派)に入会した。永田町では「将来、首相を狙うた
有料会員限定
会員登録(有料)
この記事をお読みいただくためには、会員登録(有料)が必要です。
新規会員登録とマイページ > 購読情報から購入手続きをお願いいたします。
※IDをお持ちの方はログインからお進みください
【会員登録方法】
会員登録をクリックしていただくと、新規会員仮登録メール送信画面に移動します。
メールアドレスを入力して会員登録をお願い致します。
1ユーザーごとの登録をお願い致します。(1ユーザー1アカウントです)
ログイン
会員登録