『運び屋』(2019年/アメリカ/116分)。監督:クリント・イーストウッド


 このところの新型肺炎騒動で、映画館や寄席に足を運ぶのが憚れる毎日。ならば一度、インターネットの有料動画を試してみようと思い立つ。当然ながら、封切館でかかっている最新作は配信されていない。アマゾンの「プライムビデオ」で探すと、1年前に話題になった作品があった。399円で2日間は何度でも鑑賞できる。PCのモニター画面は32インチ。劇場の大画面と比べれば見劣りするが、これで面白ければ、とてもお得。



 プロ野球界には「名選手必ずしも名監督にあらず」のジンクスがあるが、映画の世界には通用しない。その代表格であるクリント・イーストウッドが『人生の特等席』(2012年)以来8年ぶりの出演で自らメガホンを取ったのがこの作品。今年封切りになった『リチャード・ジュエル』と同じく実話を題材にしており、興味をそそる。


 長年にわたり短命の花と言われるデイリリーを栽培して生計を立てていたアール(イーストウッド)は、インターネット通販に押されて商売が傾いた。ふとしたことがきっかけで大量の麻薬カルテルの運び人になり、高額の報酬に目がくらんで次第にのめり込んでいく。アールを追い詰めて逮捕するのが、ブラッドリー・クーパー演じる麻薬捜査官。90歳近い老人がコカインの運び屋とは知らず、両者がニアミスする場面はスリリングだ。



 2度3度と運び屋稼業が正業になると、ハンドルを握るアールの口からは鼻歌が漏れるようになり、行く先々で停泊するモーテルには夜な夜な美女が訪れる。しかし、カルテルで内紛が起きボスが交代して運営方針が変わると、アールはとたんに身の危険が及ぶことになった。妻の危篤に急きょ帰省してブツの運搬を一時中断させたことが露見し、銃を突きつけられるのだ。


 イーストウッドの映画は、どの作品も期待を裏切ることがない。空前の大ヒットこそ少ないものの、毎年のように制作する作品は常にそこそこの興行成績を収めていて、配給会社にとっては貴重な巨匠である。野球でいえば、どの試合でも必ずスタメンに名前を連ねる6番打者のような存在だ。中軸が打たないときには走者を返し、相手投手に抑え込まれていゲームでは、よく選んで1塁に向かうようなタイプだ。


 なぜいつも安定した映画が撮れるかというと、ストーリーにメリハリが効いているからだ。退屈させないのが映画であり、作劇術だと心得ている。古今の名監督の中にはイントロが恐ろしく長かったり、なかなか本題に入らなかったりする作品がある。代表的なのは、マイケル・チミノ監督だ。『ディア・ハンター』(1978年)を思い出してほしい。製鉄所で働く若者たちが戦地に赴くまでに、いったいどれほどの時間を要するか。延々と続く壮行会あたりで、眠気を催す人は少なくなかったはず。



 イーストウッドは、大作主義から遠く離れたところで、好みの役者を呼んで自ら味付け(演出)し撮っていく。それでいて商業主義を忘れているわけではなく、きちんと計算はしている。その証拠にオスカーは過去何度か取っているし、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)や『チェインジリング』(2008年)など、その時々の人気スターを起用することもある。大っぴらに正義を振りかざすことはしないが、しかし社会悪に対してはきちんと物申すのである。近作では『グラン・トリノ』(2008年)が出色だった。



 イーストウッドの「生涯成績」を見ると、1959年に公開された『ローハイド』から最新作の『リチャード・ジュエル』(2019年)まで、毎年映画に出演または監督している。この60年間、空白の時期がなく一貫して活動を継続しているのは見事というほかない。そのどれもが秀作であり名作である。衰えを知らない創作意欲はいったいどこまで続くのか。アジア圏の映画が近年は高い評価を得ているが、この人の作品を見るたびに、ハリウッドの底力を思い知らされる。


 400円で気軽に見ることができた佳品。ロードムービーの要素も取り入れ、しゃれた音楽も聴かせてくれる。自らジャズピアノもこなす「趣味のよさ」こそ、イーストウッド映画の真骨頂かもしれない。(頓智頓才)