『旅芸人の記録』(1975年/230分/ギリシャ)。監督:テオ・アンゲロプロス



難行苦行の4時間を走破


 遂に宿願を果たした。長い間欠品が続いていたレンタルサイトに久しぶりにアクセスしたら、在庫の表示があり早速取り寄せる。4時間に及ぶ難解な歴史的大作を僅か400円で居ながらにして味わえることに感謝した。時の経過は残酷で心躍ることはなかったが、映画好きならば一度は経験すべき通過儀礼を果たして感慨に耽った。



 映画は1939年から1952年までのギリシャ国内における左右両派の政治対立を旅芸人一座のドサ回り生活の中で見つめる筋立てである。馴染みの薄いギリシャ内戦がテーマであるうえに異様に長回しカメラ撮影や説明の少ないセリフ。一座の出し物「羊飼いのゴルフォ」も意味不明で、どれを取っても娯楽性に欠ける。にもかかわらず、一部の映画愛好家が絶賛する理由のひとつには、1970年代の世界的な「政治の季節」があったことは間違いない。


 したがって、この映画を「楽しむ」には、当時とその前後におけるギリシャを含む世界の政治情勢を紐解くことが必須条件になる。映画鑑賞であって娯楽でなく、世界史の授業である、と肝に銘じて初めて鑑賞の価値が生まれる。


複雑怪奇のギリシャ内戦


 映画では一座の芸人のなかに左右両陣営の支持者が配置されている。牧歌劇も当時の王党派政権を担っていた右翼政党とその指導者を皮肉って見せているらしいが、セリフは断片的で説明口調でなく、誰が左で誰が右か明確でない。ギリシャの人名は覚えにくく頭に残らない。人物対立は明瞭に把握できていないので、ここはあまりこだわらず我慢するほかない。今はスマホという便利なものがあるので、鑑賞しながら検索機能を使って「ギリシャ内戦」の解説をチラ見するのも手である。



 とはいうものの、当時のギリシャ政情がこれまた複雑で一筋縄にいかないのだ。東洋の島国で暮らす者にとって、「ヨーロパの火薬庫」ともいわれたバルカン半島の地政学的な複雑さに思いを至さないと理解は深まらない。


 映画の時代背景(1939~1952)を概観しておく。1939年に第2次世界大戦が勃発し1945年に終結。同時に東西冷戦が始まった。大戦でギリシャは枢軸国(米英などの連合国)と戦い、ナチスドイツ・イタリアの侵攻を受け、のちにドイツ・イタリア・ブルガリアの3国による分割統治体制になり傀儡政権が誕生する。つまり、2大陣営を敵に回していたのである。その後傀儡政権、レジスタンス運動を支持したギリシャ共産党の配下「ギリシャ人民解放軍」、反共勢力が三巴の戦いを展開する。そして1946年に内戦となり、王党派の右翼政権と共産主義ゲリラ勢力の対立が激化した。


 このとき、財政難のイギリスに代わって右派政権を支持したのがアメリカで、欧州復興計画「マーシャルプラン」を遂行。一方、左派を支援する隣国のユーゴスラビアはソ連と対立して左派の援助を放棄。これが決定打になり1949年に左翼陣営の敗北でギリシャ内戦は終わる。ギリシャは1952年にNATO(北大西洋条約機構)に加盟して西側陣営の一員になるが、欧州ではこの時期スペイン内乱(1936~1939)が起きて反乱軍だった右派のフランコ政権が誕生している。


 スペインは、共和国政府がソ連を軸にした左翼勢力を味方につけて戦ったが、内部対立でフランコ将軍が率いる反乱軍に敗れた。ギリシャも同じように内部対立が表面化して左翼政権が倒された。東西の冷戦構造が内戦に深い影を落としたのである。スペイン内乱は、米国の文豪ヘミングウエイなどが参加した国際旅団が世界的に報道されたが、ギリシャ内戦は話題に乏しかったのかもしれない。



ギリシャ政情を描いたもうひとつの映画

 

 ギリシャの政情不安ぶりを描いた映画がもうひとつある。1970年に公開された『Z』である。フランスの俳優で歌手のイブ・モンタンが主演で、当時中学生だった筆者は映画館で見た。ギリシャは独裁政権ということを知る機会になった。こちらはわかりやすく、著名な役者も多く出ていて娯楽性もあった。


 ギリシャではなく架空の国で起きた左翼リーダーの暗殺という設定だが、1969年にギリシャで起きた暗殺事件を題材にしている。『旅芸人の記録』は1975年の制作だから、『Z』のほうが5年早い。アンゲロプロス監督がこの映画に触発されたという話は聞かないが、監督のコスタ=ガヴラスは同じギリシャ人でアンゲロプロス監督の2歳年上と同年代だ。影響が皆無だったとは思えない。



2時間半我慢の末ようやく輪郭が……

 

 2枚組のDVDで、1枚目は2時間半の長尺。延々と淡々に続いていき、2枚目に入った途端、物語は具体的に展開していく。時間配分はバランスを欠いているが、配給元はどこで尺を区切るか迷ったことだろう。難解なストーリーから唐突に説明口調のセリフが増え、映画の輪郭がようやく見えてくる。辛抱したご褒美である。



 この映画が完成した1975年、前年に崩壊した軍事政権のあとを受けて選挙で民主政党が政権を握り、国民投票で君主制から共和制に移行している。さらに1980年代には社会主義政権が誕生するなど曲折を辿り、さらに2010年代には財政破綻で欧州債務危機の主役(ギリシャ危機)も演じた。


 アンゲロプロス監督は、自身が経験した政治的不安をもとにギリシャ現代史をテーマにした作品を世に出して世界的な名声を博した。その政治的色彩が作品の大きな特徴をでもあるから、そこに僅かでも共感を覚えなければ長時間付き合う言われはない。



 20世紀の共産主義は、21世に一党独裁の中国とウクライナ侵攻のロシアを生んだ。2012年に不慮の事故死を遂げたアンゲロプロス監督が存命ならば、この2大強国に対してどんなコメントを発したか、聞いてみたい気がした。画面の質が悪いのでデジタルマスター化を望みたいが、商売になるかどうか。(頓智頓才)