江戸から明治という、これまでにない大変革の起きた時代に西洋文化が一気に雪崩れ込んで、その過程で〝美術〟という概念が日本人に広められたというのを知ることができたのが開催中の『特別展 明治美術狂想曲』(〜6/4、静嘉堂文庫美術館)です。



 物や制度や、とにかくあらゆる初めてのものが開国した日本に雪崩れ込んできて、それらに〝名前〟が付けられたおかげで何となくわかるようになっているのに、最近のカタカナの字面からではわかりようもなく困ったものです。もっとも昔から新し物好きな日本人は西洋の言葉をよく使っていたようなので仕方がないです。最近読んだ久生十蘭の『魔都』には一応漢字に振り仮名の形でカタカナ英語が表記されていましたが、フランス語まで結構使われていました。


 日本より優れていると西洋の物が幅を利かせ、日本のものは排除され、神仏分離令の影響で仏教美術も破壊されて海外に売り渡されていった時代。日本が明治5年のウィーン万博に公式に初参加した際〝美術〟という言葉が作られたそうです。このとき、西洋受けを狙った日本な美術工芸品を中心に出展して、今ではちょっとゴテゴテし過ぎに思えるいわゆる超絶技巧のそれらの品が人気を博して輸出品としてたくさん造られていくようになったそうです。急激な変化の波に呑まれて否定されていた日本伝統の美術が、明治10年の内国勧業博覧会の観古美術展で再評価され、西洋文化への追従を反省したそうです。西南戦争が開戦された年ですが大河ドラマで観ていたのとは違う世界があったのですね。この間観た月岡芳年なども生きた時代は、日本中で本当に物凄いことが同時に繰り広げられていたのだなとつくづく思いました。今ちょうど放送中の朝ドラもそうですね。


 工芸品や絵画が並べらた博覧会に行った人々は〝美術〟という概念を持っていたわけではなく、新し物好きの興味本位だったのだと思います。そんななか起きた〝腰巻事件〟というのがあったというのを聞いたことがありますが、そのときの作品を観ることができました。芸術か猥褻かは今もときどき論争になりますが、本当に布で覆い隠して展示していたのですね。


 今回一番観たかったのが河鍋暁斎の『地獄極楽めぐり図』で、豪商が若くして亡くなった娘のために依頼したそうです。今で言うならマンガ家の荒木飛呂彦あたりに個人的に頼んだといったところでしょうか。それにしても豪華な作品でした。


 単にけばけばしいと思っていたのが、激動の波の中でいろんな背景があって生み出されたのだと違った見方ができました。


 訪れたのは連休初日で丸の内界隈はかなり賑わっていましたが、日時予約せずとも入れるくらい空いていました。あの〝油滴天目茶碗〟もじっくり眺めることができます。ミュージアムショップの一押し商品もやっぱり油滴天目茶碗でぬいぐるみが人気のようです。


 鑑賞後にはすぐ近くの緑が心地いい三菱一号館(閉館中)の中庭でのんびり休憩するのもおすすめです。