名前は何となく知っていたけど、何をしていた人なのか知らなかった大田南畝の展覧会を観てきました。別号・蜀山人というのも聞き覚えがありますが、今回訪れたたばこと塩の博物館で開催している『没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界』(〜6/25)で、狂歌師だったのがわかりました。しかも御家人。今で言うなら公務員でしょうか。ずいぶんいろんな人たちと交流し、かなりの有名人だったようです。何しろ昭和になっても紙芝居にまでなっているくらいですから。この紙芝居は3階で見ることができます。



 神童だった彼は下級武士ではありましたが、19歳のときに当代の漢詩人たちの形式を模した『寝惚先生文集』という本で江戸の風俗や流行を描いて、江戸中にその名を轟かせたそうです。時代は浮世絵で茶屋娘お仙が評判になっていた頃。そう、江戸の著名人たちが活躍していた頃です。平賀源内や山東京伝、谷文晁に上田秋成、蔦屋重三郎や喜多川歌麿、葛飾北斎などとも交流があり、狂歌を江戸に流行らせた人物が大田南畝でした。


 狂歌だけではなく、幕臣としてあちこち転勤した際にあらゆる事件や風聞に歴史的なことを書き残し、記録したことで大事件のようなことから、見過ごされてしまう出来事をも書き留めていたことで埋もれずに今伝わっていることも多いそうです。


黄表紙などいろいろな本にも描かれているくらいエラのはった四角い顔の彼の肖像画はずいぶんあるなので、とても人気があったのでしょう。そんな彼を援助したのが知友の平秩東作と蘭奢亭薫で、たばこ屋でもあったということからこの博物館で開催されたようです。


 

 本の収集や出版以外で一番驚いたのが『寸紙不遺』。これは言わばスクラップ帳。書籍の広告役者絵その他の芝居の印刷物、おもちゃ絵、見せ物の案内、各所や名物の引き札、寺社の札に浅間山噴火の被害を伝える一枚摺(今で言えば、号外でしょうか)など、あらゆる物をとっておいて貼りつけたものでした。


 また〝宝合〟という家に伝わる宝を持ち寄り、その由緒を恭しく披露する会を日用品などにもっともらしい由緒をこじ付ける遊びとして開催し、その成果を図録にまでしていました。何でも徹底的にやるのが江戸の人たちだったのだなぁと思いました。


 彼の本をいくつも刊行したのが蔦屋重三郎ですが、彼を主役にした大河ドラマが25年に放送されるので、きっと大田南畝も登場するだろうと今から楽しみです。博物館の常設展示はさすがに毎回観ることはないので、帰りはスカイツリーまで路地を散策しながら買い物するというコースもいいです。