2024年5月公開/134分/菅督:代島治彦
<1972年11月に川口大三郎君リンチ事件が起きた>
1972年11月に早稲田大学で起きた殺害事件に端を発した闘争を描いている。元朝日新聞記者の樋田毅氏が著した『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』が原案になっている。早大第一文学部2年の故川口大三郎氏が革マル派によって構内でリンチされ命を落とした事件で、敵対する中核派のスパイと誤認された挙句の死だった。
この事件はセクト同士の抗争が背景にある。著者の樋田氏は大学自治会を牛耳る革マル派に抗して新自治会を立ち上げるリーダーのひとりになり、非暴力を通じて大学自治を取り戻す運動を展開していく。しかし、革マル派の暴力による逆襲に遭い、実力行使と非暴力を巡り内部で路線対立が生まれる。
<映画は当時の関係者証言が軸になっている>
興ざめする再現ドラマ
樋田氏を含めた多くの当事者による貴重な証言が映画の中心軸になっている。悔恨と自責。50年前が静かに回顧される。早大演劇部の学生らが演じる芝居の部分は未熟な演技で興ざめする。川口氏を演じた職業俳優を含めて学芸会レベルで、残念だった。劇作家・鴻上尚史の演出も疑問。この国における若手俳優の水準の低さに今さらながら愕然とする。予算の関係で実績のある役者の抜擢は難しかったか。あくまで当時の関係者の証言をもとにしたドキュメンタリーでドラマは刺身のツマとの位置付けなら致し方ないが、せめて脇役のひとりでも力のある役者に任せていたら、もう少し骨太のドラマになっていたのではないか。
<再現ドラマは陳腐な出来だった>
事件直後のフィルムに登場する一般学生らの血気溢れる言動が新鮮だ。一方で、演技指導の傍ら日本における左翼史を学ぶ講義の場面があるが、50年前の学生と会話ぶりが全然違う。同じ大学の学生でありながら、こうも違うのかと驚く。講師役の池上彰氏に対する質問の内容が要領を得ず、何を聞きたいのか言いたいのかよくわからない。討論や議論、集会慣れしていた昔の学生と雲泥の差である。抗議と質問の違いはあるが、自分の考えを的確にまとめられないのは、普段から自分の意見を披歴していないからではないか。
<当時の学生は弁が立った>
肯定される革命的暴力
共産主義は、差別や貧困などによって虐げられた人々を救うために生まれた政治思想である。先鋭的な一部の指導者が虐げられた人たちを救済するという「前衛思想」を潜在的に許容しているのが特徴だ。目標とする共産主義国家を樹立するためには、巨大で邪悪な権力を打倒するほか手立てはなく、その目的を遂行するために使われる暴力は肯定されると理論武装する。
映画のなかで評論家・内田樹の話が面白かった。「資本主義の手先である国鉄(の電車)はキセル乗車して当たり前と考えるのはまだしも、駅前のおでん屋に大挙押しかけてタダで食べ尽くすのには呆れた」。1970年の夏、川崎駅でヘルメットを被った50人くらいのセクトが角棒を持って改札口を一気に出て行ったのを見た。周囲の人たちは茫然と見ているだけだった。その約20年後、地下鉄に乗っていると国会議事堂前駅で同じような軍団が大挙して乗車し、リーダーと思しき者が「ブラインドを降ろせ!」と大声を出した。数人の乗客が「なんだ、お前らは!」と抗議したが、軍団は黙して語らず2つ目の駅で降りた。異様な光景だった。
<中核派、革マル派ともに機関誌名は「共産主義者」>
権力の前では何をやっても許される。あの頃の学生は概ねそのような誤謬に犯されていた。文化大革命の標語である「造反有理」は、一種の流行語だった。中国物産展で買った毛沢東語録と帽子はお宝だった。現在では一部で蛇蝎のごとく忌み嫌われる「左翼」思想だが、社会における多くの課題を直視すれば当然の帰結で、そのような考え方に近づくのは、自然の摂理である。そうした考え方に与しないためには、その言説を根こそぎ全否定する以外に手はない。あの虐殺はなかったとか、あの航空事故は多様性政策が原因だとか。身も蓋もない物言いがまかり通っている。政治の季節と言われたあの頃と比べて、むしろ人心は陰湿で荒廃している。
寛容と非寛容
この運動の意味するところは寛容と非寛容である、と友人は言った。暴力に対して非暴力は力足り得るのか。作家の佐藤優は映画のなかでリンチを実行した革マル派に対してこう話す。「これだけの暴力に耐えられるのは、中核派に違いない。そうでなければ、この信念の固さは説明できない。そう誤解したのではないか」。革マル派の暴力信仰が凄惨な殺害事件を生んだ、との分析である。事件が起きた頃は、ベトナム戦争や公害問題などに対する問題意識が強かった。高度成長期が終わりを迎え、権利意識が高まっていた。労働組合運動も高揚期にあり、国内政党では社共が強かった。
<革マル派と新自治会学生が衝突>
興味を持ってこの映画を観るのは、多くが同世代のひとたちだろう。左翼界隈などと揶揄するのはまだましなほうで、興味のカケラもないひとたちが大半だと推測する。多くの人に観てほしいという意図からドラマ仕立てを挿入したと思われるが、効果的とは言えない。映画批評のレビューを覗いてみたが、どれも的外れで想定内だった。見終わった後、すぐに歩きスマホしそうで悲しい。(三)