2023年12月公開/124分/監督:ヴィム・ヴェンダース


 ストーリー展開に起伏がなく、台詞は極端に少ない。主人公の仕事がやや特殊であることが鑑賞者の関心を引く唯一の道具立てになっている。単調極まるが、役所広司の飾らない演技が出色である。といって、作品全体を通して見れば、映画祭で受賞するほど賞賛する出来栄えでもない。せぜい佳作。見ている者に深読みを強いるこの手の作品を有難がる歳ではなくなったせいでもある。


<役所広司の淡々とした演技が光る>

 

取って付けたエピソード


 主人公(平山というせいらしい)は、東京・浅草にある安アパートに住んでいる。早朝に起き、顔を洗い、歯を磨き、清掃人の作業服を着て玄関ドアを開け、空を見上げる。1日の始まりである。缶コーヒーを購入して軽自動車に乗り、都内の有料(?)トイレの清掃に向かう。それが終わると、コンビニでサンドイッチと紙パックの牛乳を購入し、トイレがある公園近くの境内に腰を下ろして昼食をとる。ひょっとしたら朝食かもしれない。そこで空を見上げ、持参したフィルムカメラで木漏れ日をレンズに収めるのが日課である。終わるとアパートに戻り、銭湯につかった後は、東武浅草駅の地下にある一杯飲み屋に向かう。帰宅し、寝そべりながら文庫本を読み、睡魔が襲うと就寝する。


 ざっと、こんな日常が3~4回ほど繰り返される。その間、コインランドリーに行ったり、写真屋に出向いて現像を頼んだりする。同僚からデート代をせびられたり、スナックでママが歌う演歌版『朝日のあたる家』に聞き入ったり、突然姪っ子がおしかけたり、姪っ子の母で妹と思しき女性が運転手付きの高級車でアパートに来て姪っ子を引き取ったりする。


<挿入される逸話がどれも白々しい……>


 単調な生活の中で訪れるイレギュラーな出来事にも主人公は波風立てずにやり過ごすのだが、そのひとつひとつの事柄が、いかにも取って付けたようで白々しい。平山はどんなことが起きても淡々とこなすだけの「生活技量」がある。たとえるならば、出塁しようとバントしたり流し打ちしたりボールを見極めて四球を選んでみたり。あれこれ攻略しようとするが、投手は動じずに対処して9回完封してしまう。何が起きても動じない生活力が映画のタイトルになっている。


奔放な解釈を促す作品


 鑑賞する者が制作者の意図を勝手に解釈する。たかが映画だから、それはそれでいい。ただ、過度に有難がる必要はない。好きに解釈してください、と監督は見る者を突き放している。斟酌すれば、毎朝お天道様を見上げて始まる毎日を平穏無事に過ごす生活こそ尊い、との自己肯定が底流にある。木漏れ日や60年代のヒット曲『朝日のあたる家』が重要なモチーフになっている。


 単調なリズムを刻む映画は、昔からある。この映画が特段秀逸と思わない。監督は小津安二郎を敬愛しているらしい。小津に対するオマージュといった趣もある。当初は公共トイレ事業におけるプロジェクトを推進するためのドキュメントとして企画されたが、その後、日本びいきの監督が長編化を構想して書き下ろしたという。日本人スタッフの協力もあっただろうが、不自然な演出も所々にある。前述した数々のエピソードがわざとらしかったのが惜しまれる。仕草や振る舞いが外国人のテイストで、日本仕様になっていない部分があった。ドラマチックでない映画が細部で破たんを来すと致命的だ。


<どうということのない日常を描く>


戒めたい「独りよがり」


 文章修業のために某エディタースクールの講習を体験した時期がある。半年の通信添削の後、講師が主宰する同人誌に入り、年に4回作品を出すことになった。800字で身辺雑記を書くのだが、これがなかなか難しかった。800字は長いようで短く、短いようで長いのだ。関東圏の某所で1泊の合評会がある。これを4年ほど続けた。大宅壮一門下である文章の師は、二言目には「独りよがり」と一蹴した。自分だけがわかる文章を強く戒めた。


 その言葉は今でも体の奥深くまで染みている。よく書けた、褒めてくれるだろうと自信満々で合評会に出るのだが、その一言で奈落に突き落とされる。同人内の投票と師匠の評価点で優秀作品を決めるようになっていて、高得点の作品はやはり面白い。悔しいが、誰が読んでも話の筋がわかるように書かれているのだ。


<作者の独りよがりは面白くない>


 ことほどさように、表現された作品は、自分だけわかればいいというものではない。好き好きというのは、言い訳、弁解である。映画は多くの時間をかけて作る。文学作品もしかりである。数学のように、答えはひとつである必要はない。映画も小説も人によって受け取り方に違いがあるのは不自然ではないが、作者の独りよがりでできたものは大体つまらない。(頓智頓才)