『リチャード・ジュエル』(2019年/132分/アメリカ)。監督:クリント・イーストウッド



 御年90歳を迎えたクリント・イーストウッド作品。名優・名監督がひしめくハリウッドでも図抜けた大御所だが、改めて感じたのはキャスティングの妙である。わが国ではあまり知られていないが、主役にはコメディアン出身の俳優を抜擢。脇役には演技派を揃えて引き締めている。正直なところ期待以上の感動はなかったが、『グリーン・マイル』(1999)で気色の悪い殺人犯を演じ切ったサム・ロックウェルと、『ミザリー』(1990)以来すっかりお気に入りのキャシー・ベイツを見るだけで楽しかった。こうした贅沢な役者を呼べる豊富な人脈と適材適所、出演を熱望する彼らからの敬意こそクリント・イーストウッドの真骨頂。毎年必ずヒット作を飛ばす息の長さに繋がっているのだと再認識した。



 物語は、最近好んで使う実話を題材にしたドラマ。1996年開催のアトランタ五輪会場付近で行われたコンサートで起きた爆破事件で、爆破物の発見者でいったんはヒーロー扱いされた警備員のリチャード・ジュエルに嫌疑がかけられ、のちに容疑が晴れるまでを描いている。当初は多くの人命を救った英雄として持ち上げられたが、FBIが犯人視していると地元紙が報道したことからマスメディアの見方が一変。執拗な家宅捜査やメディアの過剰報道によって追い詰められていく。



 そこに登場するのが、かつて政府系機関で同僚だった弁護士のワトソン(サム・ロックウェル)。FBIは元副保安官で治安機構やその制度に対する強い敬意を抱いていたリチャードの心証に付け込み、犯人逮捕のケーススタディを制作するのでビデオ撮影に協力してくれと持ち掛ける。最初は好意的だったリチャードだったが、書類のサインを求められるに及んでFBIの手口に気付き、弁護士のワトソンに支援の電話をかけていったんは窮地を脱する。犯人扱いするFBIにも時に好意を寄せるリチャードだったが、母バーバラ(キャシー・ベイツ)の悲嘆に傷付きワトソンの説得でようやく反撃を開始。正式な取り調べの席で堂々と反論し、見事に容疑を跳ね返すのだった。



 ところで映画のなかで「法執行官」という言葉が再三出てくる。英国の植民地だったアメリカは、連邦国家の成立過程から自治意識が高く、警察機構が重層的に構築されている。ウィキペディアによると、米司法省の2008年調査によれば米全土で約1万8000の法執行機関があり、うち地域警察が1万2500、保安官事務所が約3000あるという。実在したリチャード・ジュエルはその後、晴れて郡警察官に任官されるが、2007年に病死した。



 主役のポール・ウォルター・ハウザーがいい味を出している。巨体が醸し出す雰囲気は愚鈍だがユーモラスで、シリアスなストーリーに反比例して映画にゆったりとしたテンポを与えている。まだ33歳と若く今後が楽しみな役者なので、名前を憶えておきたい。



 サム・ロックウェルは、肩の凝らない演技をしながらも芝居に没入する姿勢が優れ、配役に対する理解度が深いと感じる。反対にキャシー・ベイツは体当たりの演技で人気を博してきた女優で、オスカー(主演女優賞)を受賞した『ミザリー』の迫真の演技が忘れられない。



 ただし、2人ともこの作品では抑制的に演技しているように見える。当局の理不尽な操作やマスコミの過剰で一方的な報道に対する抗議を描こうとすると、力み返って過剰演技になり映画のテーマから逸脱してしまうと考えた監督の意図的な演出か。クリント・イーストウッド監督の映画としては平均の出来で物足りなさも感じた。声高に叫ぶことを必ずしもよしとしない監督の一歩引いた演出が、興行成績に影を落としたかもしれない。(頓智頓才)