「治験」という用語はかなりポピュラーな言葉になってきた。製薬協の治験についてのパブリシティーや新聞を通した治験広告、病院内の治験協力依頼広報、患者会の動きなどを通して、治験という言葉は広く市民権を得つつある。
私のパソコンは3台目であるが治験という言葉がストレートに打ち出せるようになったのは今のパソコンからである。これは治験という言葉の歴史の新しさを物語るものであろう。ちなみに、手元にある広辞苑(第2版、70年11月)には治験という言葉は載っていないが、現行版(5版)には収載されている。
昭和30年代には治験という言葉は製薬企業の関係者のみが使う部内用語(隠語)であった。会議資料は臨床試験と書かれたし、社外では臨床試験と言うのが適切と上司から教えられた。それが時を経るにつけ部内用語から社内用語・業界用語へと広がり、新薬の研究をする臨床家へと浸透していった。
こうした経緯を経て、1979年薬事法に、初めて治験という用語が使われたのを契機として、治験という言葉は公的に認知された。
薬事法で「治験」とは「承認申請資料のうち臨床試験の試験成績に関する資料の収集を目的とする試験」(第2条15)とクリアに定義された。従って、申請資料に使うことを目的としない薬の臨床研究は治験とは言わない方が適切である。これを整理すると広義の臨床研究の中に臨床試験があり、臨床試験の中に治験があり、治験の中に医師主導治験が最近創設されたことになる。医師主導治験とは承認申請を行うために(新規申請、適応拡大、新規用法・用量など)医師が主体的に行う臨床試験をさし、GCPを遵守する必要がある。
ところで、多くの日本語の漢字はその文字(字体)から、おおよその意味を読み取ることができる。しかし、治験という用語の漢字体からは、その意味するところがほとんど推理できない。それは何故だろうか。
治験が一見、意味不明瞭な文字であるのは略語から来ているためで、治験は「治療実験」から生まれた略称である。治療実験とは余りに生々しいので「治療試験」の略であろうと言う人もいる。しかし、本来の意味からは治療実験と理解するほうが適切である。治験のプロトコールを見れば試みでなく、まぎれもなく実験計画そのものである。
但し、薬事法には試験と記され、英語ではClinical Trialsと言う。それでも、治験を語り、治験を行う上では「治療実験」という原語の認識に立ち、厳粛に受け止めたアクションをとることが、治験を正しく発展させるために重要であると考えている。
現在でも、臨床薬理学などの特定の領域を除き、医学専門雑誌や医学会において治験という用語はほとんど使われないで、臨床試験という言葉に代替されている。この理由は治験という言葉に前述のような複雑な背景があるためであろうと推察する。
治験と言う用語が薬事法で正式に認知され、定義されたことにより、治験に対する科学性と倫理性が強く求められるようになった。その典型例がGCP規制である。
GCPの施行は治験のもつ意義と役割や科学と倫理に対する認識を一変させた。そのインパクトは治験の空洞化現象を惹起させると共に、新しい事業領域(CRO、SMOなど)をも創った。
日常、何気なく使っている治験と言う用語は、実は日本の新薬の臨床開発面に大革命をもたらした元祖の言葉であると考えるが間違いだろうか。
神原秋男 著
『医薬経済』 2005年12月15日号