私は「薬害」という言葉があまり好きではない。原稿を書くときも薬害という言葉を、自然に避けて書くようになっている。薬を愛する薬剤師のもつ生理現象かも知れない。こんなことを書くと「だから薬害はなくならないのだ」と薬害オンブスマンから一矢を報いられそうである。
医薬品には、主作用と副作用(Side Effect)があり、有益な働きと有害な働き(Adverse Reaction)があると、薬理学の教科書は教えている。主作用と副作用は薬の側から見た働きで、有益作用と有害作用は生体側から働きを評したものである。いずれも、副作用と有害作用という用語が、よりポピュラーになっているのはなぜだろうかと言葉の不可思議さに戸惑う。有害作用と薬害はどのように違うのだろうか。答えは難しくなる。
「薬害とは薬による害であるが、インフォームドコンセントが行われたものは薬害とは言わない」という見方から、被害者が「受認できる、または受認せざるを得ないものは副作用で、受認できない健康被害を薬害」と定義する人がいる。また「薬の有害作用が社会的問題に発展したもの」とする現象論的な見方もある。いずれも、薬には有害作用があることを前提に、事前に健康障害の可能性のあることを承知・認識していたかどうかが、有害作用と薬害とを区分する重要なポイントになっている。
今までの薬害の事例を抽出してみよう。最近のトピックはブロックバスター品のCOX2阻害剤バイオックスの心筋梗塞発生問題でデータ隠蔽の有無を含めた裁判が行われている。イレッサの死亡事故を薬害と考えるか? 古くはサリドマイドの四肢奇形があり、発生当初は伝染病と疑われたスモンを起こしたキノホルムがある。さらに、クロロキンの網膜症、スルピリンの頻回筋注による筋短縮症(医療過誤か)、コラルジルの脂肪肝、ソリブジンの相互作用とある。非加熱凝固因子製剤による薬害エイズはあまりに有名である。
コラルジルについて筆者は珍しい経験を持つ。コラルジルが問題になる約2年前、私の担当のM製品に肝障害例が発生し病理所見をつけて内科学会地方会で発表された。添付文書の改訂など各種資料を作り直した。それから2年後にコラルジルの薬害問題が起こった。主治医はM製品とコラルジルを併用していたことを思い出し、病理所見を見直したところ、コラルジルの薬害例と同一所見であり、原因はコラルジルであることが判明した。発生時に、M製品には肝機能障害の注意事項が記されていたために、返ってM製品が被疑薬となったもので、副作用の原因究明の難しさを物語る実話である。
ニューキノロン系薬と一部の抗炎症鎮痛薬の併用は相互作用により強い痙攣発作を誘発する。これは1施設で起こった数例の副作用例から直ちに原因が解明され、注意を広く喚起したことにより薬害問題にならなかった。抗菌薬と抗炎症鎮痛薬とは併用される頻度が高く、薬害に発展せずに防止できた貴重な事例である。
薬に携わる1人として薬害は絶対に起こしてはならない。だが、残念ながら薬のすべての副作用を予知・予告できるものではない。薬を使う場合、常に鋭い観察力と感受性が要求される。疑念があったら徹底的に究める姿勢が大切である。原因が推定できたら速やかな伝達が鍵を握る。広報・伝達により薬害を最小限に留め、拡大を防止することが肝心。前述の多くの薬害事件はこれを教えている。情報不足の状況下の決断が鍵を握る。薬害を減らすためのリスクマネジメントの真髄である。
神原秋男 著
『医薬経済』 2006年3月1日号