「治験の空洞化」という言葉が薬業界のみでなく学界、官界で使われ、学会・研究会や専門紙に汎用されている。治験の空洞化とは日本の治験がスムーズに発足・進行・終結せず、海外治験にシフトしている現象・状況・構造を捉えてつけられた。すなわち、日本の治験が遅延・停滞し、時には中断せざるを得ない状況を指す。
「治験の空洞化」という現象が生まれたのは97年4月から施行された新GCPの影響による。旧GCPは90年10月から実施された。その時点では治験の進行は多少遅れたが、空洞化というほどのことはなかった。その後、ICHの合意や旧厚生省の「医薬品安全確保対策検討会」の最終報告書をもとに、改定された新GCPが施行され、日本の治験は中断状況に陥った。
新GCPには治験依頼者の責任体制、治験のモニタリングや監査、治験審査委員会の機能充実、文書によるインフォームド・コンセントの徹底、治験責任医師の役割と責任など科学的・倫理的な治験を信頼性のある方法で行うべく詳細な規定が盛り込まれた。1つの治験に整備保管すべき必須文書が130余種類もある厳格なものだ。
これは治験改革元年ともいうべき大改革で、多忙な臨床現場では新GCPに沿って治験を行うのは不可能な状況になった。一方、製薬企業は日本で治験が進まないとみるや欧米への治験展開を図り、新薬開発を促進する方策を採り始めた。欧米での治験により開発を効率的に進めることは製品の早期承認を得るのみでなく、国際的マーケティングにも貢献し、一挙両得のメリットがあるからだ。
これらの状況を総括して「治験の空洞化」と呼ぶ用語が定着し使用されるようになった(残念ながら、最初に「治験の空洞化」と名づけた人が誰かを、筆者は知らない)。
さて、日本の治験の実態を如実に表した「治験の空洞化」という言葉は、実は日本の医薬品行政に大変な効用を発揮した。治験の空洞化を解消しなければ、日本は医薬品後進国になってしまうという主張は、厚生労働省をして治験研究の環境整備策を進めさせた。
CROやSMOの新事業の容認やCRCの養成・増員、医師主導治験の設定などの諸対策が講じられた。さらに03年から「全国治験活性化3ヵ年計画」を策定し、推進した。
仮に、治験の空洞化という言葉がなく、「治験は停滞している」「治験が進まない」「日本発の新薬を欧米で先に治験するのはけしからん」などと議論していたら、果たして多くの治験推進策が国策として速やかに講じられたであろうか。
「治験の空洞化が起きている」は「治験が停滞している」より、はるかに説得力とインパクトを与える言葉である。それゆえに各種の空洞化解消策が講じられたのであろう。ここに、新しい言葉(用語)の強い威力と魔力を感じる。
治験の空洞化を解消するためにかつてない対策が打たれたにもかかわらず、治験の空洞化現象は現在も続いている。日本の治験は「遅い、経費が高い、質が悪い」という3大欠陥が指摘され、第二の空洞化解消対策が切望されている。
厚労省は今年3月「治験のあり方に関する検討会」を設置した。「治験を円滑に実施するために必要な環境整備策」や「治験実施に係わる実務上の軽減策」の検討がなされている。是非、オーバークォリティーな新GCPの改訂を含めた抜本的対策を答申されたい。
「治験の空洞化」と言う絶妙な用語が1日も早く忘れられるような治験環境になることを切に願う。
神原秋男 著
『医薬経済』 2005年7月15日号