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マイクロドーズ

2023/07/19 会員限定記事

言葉が動かす医薬の世界 29

 新薬の研究開発中に、候補品が「薬」としての適性に欠けることがわかり、ドロップ(開発中止)するのは研究者にとって、言葉に表せないほどの悲痛であり、落胆であり、屈辱である。企業にとっては研究開発投資の損失のみでなく経営計画にも影響する(ただし、開発中止決定のプレスリリースをみると、どれも、「ほとんど影響はない」と画一的に記されているのは誠に奇怪な話である)。


 研究開発品のドロップは、探索段階から前臨床試験、臨床試験(治験)、申請段階、承認審査段階までの、非常に長いプロセスの随所で発生する。


 探索段階のドロップは一般に社内の会議で決定され、ネクスト品の探索に入るわけで影響は少ない。通常、前臨床試験終了時以降の開発品、いわゆる候補品の開発コード(多くは企業の頭文字が入っている)が、社外にまで知られている状況の品目のドロップは、企業経営に多大な影響を及ぼす。


 臨床開発過程において開発中止になる確率が高いのはフェーズⅠ(PⅠ)試験とフェーズⅡ(PⅡ)試験である。PⅡ段階の中止理由は期待ほどの臨床効果・薬効反応が得られないことが大半で、次いで想定外の副作用の出現である。PⅠにおける中止理由は動物とヒトとの乖離に起因するものが多数を占め、動物試験の成績をヒト試験に外挿できなかったことを意味する。後期PⅡ試験、PⅢ試験の失敗(開発中止)の原因は治験品に対する事前評価の甘さと治験設計や治験精度に起因している。事前に中止を決定するか、治験技法の改善により中止を回避できる余地がある。つまり、臨床開発技術にこだわる要因が少なくない。


 それに比較して、PⅠ試験はヒトと動物との薬物動態の差に由来しており、事前評価や予測が困難または不可能である。したがって、PⅠ試験の前の新しい試験方法の考案が期待されている。


 ヒトの反応を予測する方法としてヒト細胞・組織の使用、特定遺伝子のノックアウトマウスの開発、バイオマーカーの開発などの研究が進められている。主題の「マイクロドーズ試験」(MD試験)は、そのために作られたヒトによるスクリーニング試験である。


 超微量の候補化合物をヒトに単回投与し、薬物動態を検索し、最適化合物を見出す試験をマイクロドーズ試験という。マイクロドーズとは100μg以下の投与量を意味し、「マイクロドーズによるヒト薬物スクリーニング」である。「フェーズ0試験」と呼ぶ人もいる。


 MD試験は超微量の放射性同位体標識化合物をヒトに投与し、血中、尿中の超微量の薬物や代謝物を加速器質量分析計(AMS)で測定し、陽電子放射断層撮影装置(PET)で生体内分布を調べる方法である。標的組織や病巣への浸透や分布を把握することができる。MD試験法はAMSやPETの新技術の進歩に負っている。


 MD試験は「前臨床から臨床試験への移行がスムーズになり、開発の迅速化、開発リスク(中止)の低下、総開発費の低減、開発効率の向上」などのメリットを生む。


 本法は米国では今年1月ガイドラインとなり、英国でも応用が進められている。日本では薬物動態学会を中心に研究・実施体制の整備が行われている。超微量とは言え、放射性物質を使うためにGCPなど関連法の整備が必要となる。


 開発期間の短縮と開発中止抑制を含む開発効率を向上させるために、欧米で始められた「マイクロドーズ試験」は、これからの創薬研究における重要なひとつのキーワードになるであろう。


神原秋男 著
『医薬経済』 2006年9月15日号

2023.07.06更新