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毒をもって毒を制す

2023/08/10 会員限定記事

言葉が動かす医薬の世界 45

 学生時代から続いていた強愛煙家(ニコチン依存症)の筆者は昨年6月22日をもって禁煙し、そろそろ1周年記念(?)を迎える。難関とされる禁煙を成功に導いてくれたのは、他ならぬニコレット(市販ニコチンガム)である。


 これは医学的にはニコチン代替療法と言われているが、実は「毒をもって毒を制す」ひとつの典型的事例である。二日酔いに「むかえ酒がよい」というのも同じような意味合いであろう。


 「毒をもって毒を制す」ということわざは、薬理学の講義にも出てくるが、むしろ一般社会事象を対象に使われることわざとして、古くから使用されている。


 広辞苑によると「悪事を抑えるのに悪事をもってすること」とあり、「日英ことわざ辞典」によると「毒を消すためにほかの毒を使うということから、悪人を除くのに悪人を使うたとえ」とある。ちなみに「毒をもって毒を制する」の英語のことわざはContraries cure contrariesである。


 ここでは薬理学的角度から使われる「毒をもって毒を制す」の事例を見てみよう。その典型的な薬が抗がん剤である。がん細胞は際限なく異常な分裂・増殖をする特性を持つ。正常細胞との分裂・増殖速度の違いをターゲットにした代謝拮抗剤、抗生物質系抗がん剤、アルキル化剤などの抗がん剤がある。これらの抗がん剤はがん細胞の分裂・増殖に対して強力な阻害作用をもたらし、がん組織を破壊する。一方、正常細胞に対しても骨髄抑制、脱毛、消化器症状などの強い毒性を示す。これはまさに「毒をもって毒を制す」結果の副作用である。


 「毒をもって毒を制す」事例を示す植物も少なくない。


 トリカブト(呼吸困難・心拍衰弱↓強心剤)、ジキタリス(心臓毒↓強心・利尿剤)、ケシ(呼吸麻痺・痙攣↓鎮痛)、アサガオ(腹痛・下痢↓峻下剤)、トウゴマ(腹痛・下痢↓下剤)などが知られている。


 ところで「毒をもって毒を制す」とは、体に働く作用物質は使い方〜主に使用量・使用法・使用期間、併用〜により毒にも薬にもなることを意味している。薬について、いわゆる「さじ加減」の重要性が指摘される所以である。薬のもつこうした本質的特性が十分に認識されていないために、近頃は薬の副作用が異常にクローズアップされ、その薬を否定するかのごとき歪んだ報道もみられる。


 薬の非難の対象となるような重篤な副作用が発生した場合にはその薬の使われ方の妥当性を常に調査・検証する必要がある。使い方が適正でないために発生する重篤な副作用は非常に多い。製薬企業の立場から考えれば、重篤な副作用の発生を事前に予防するような使い方(適応・対象の厳選、重篤副作用の前駆症状の解明、病態に応じた適正用法・用量など)の明確化とその情報伝達が肝要だ。


 これは「毒をもって毒を制す」という薬の重要な立脚点が忘れ去られようとしている現代の風潮に対する企業の新しいリスクマネジメントである。さらに患者の薬物療法満足度を高めるうえでの重要な施策である。今日の時代背景は「薬の使い方の科学」を徹底的に究めることを強く求めている。


 「毒をもって毒を制す」の意味と類似の用語に「毒が変じて薬となる」という言い方がある。同じ毒を扱ったことわざに「毒にも薬にもならぬ」、「毒食わば皿まで」などが有名だ。


 「毒をもって毒を制す」は毒を主体に語っている。一方、「薬は両刃の剣」という格言は、薬を主体に捉え、世に警鐘を発している至言である。


神原秋男 著
『医薬経済』 2007年6月1日号

2023.07.20更新